《本気》になることの難しさ
本気で望めば
何だって叶うはず
ただ
本気になるのが
難しい
今日の歌は、ちのっぷすのもうひとつのブログ『chnops22の読書覚書』と連動しているので、同じ画像を使いました。(よろしかったら、そちらもご覧下さい。)
記憶に間違いがなければ、《モラトリアム》という言葉を知ったのは高校の倫社の時間。それからずっと心にかかっている。「わたしは一生モラトリアムで終わるのではないか」―この時わたしは「自分で自分に暗示をかけた」のかもしれない。モラトリアムからの脱出を無意識に拒否している自分を感じることが、立派なオバサンになった今でさえまだあるのだから。同時に相反するように「いつかきっと…いつかきっと…(花開く?)」と信じているようなフシもある。
モラトリアム(moratorium)のもとの意味は「猶予期間」。心理学用語では「学生など大人にも関わらず、社会に出て一人前の大人となることを猶予されている期間」を指し、エリクソンによって提唱された当時は「大人になるために必要な準備期間」の意味であった。しかし日本では小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』(これも20代前半に読んだ)の影響などにより「必要な期間を過ぎても猶予を求め、大人になろうとしない状態を表すようになっている」のだとか。わたしの暗示もこちらの意味。
前置きが長くなりましたが・・・
「本気で望めば」の《本気》の意味の根っこがここにある、と言いたかったのです。
自分が本当にやりたいことを見つけてはじめて「本気」になれるのだ、裏を返せば本当にやりたいことを見つけていないうちは「本気になれない」―「本気になる」のはことほど左様に難しい。この歌をあえて解説すればそういうことになります。本当は「本当の望みに本気で臨めば」が正確なのですが、五行歌として大胆に削いでみました。
画家中川一政の著書の画像を用いたのは、この本の中で「!」と思った文章を見つけたからです。ストンと腑に落ちた。ピタリと嵌まった。わたしの気持ちをそっくりそのまま代弁してくれているように感じたのです。
重複しますが、詳しくはわたしのもう一つのブログ『chnops22の読書覚書』をご覧頂けると幸いです。