長崎帰省
ここ数年は、結構実家にも顔を出すようになっていますが、30数年ぶりに墓参りにも行ってきました。実家の墓は10数年前に父が新しく建て直したらしく、ピカピカでした。隣のS家がどういう親戚なのか今もってわかりません。今更聞けない状態。父の父の姉か妹の嫁ぎ先?父の父が35歳の若さで亡くなっていたことも今回初めて知りました。祖母はその時40歳(5歳上なんて当時はかなり珍しかったのでは?)女手一つで7人の男の子を育てなければならなかったわけで、想像を絶するほど大変だったろうなと思います。しかも戦争前後に三男、次男、長男の順で亡くしているのですから・・・。長男の享年は23歳となっていました。大嫌いな祖母でしたが、しばし、彼女の苦労に想いを馳せ、お線香をあげました。宗教心のカケラもない私ですが、たまには神妙になることも必要かと。
感謝する
生まれてきた
すべてのものに
死んでしまった
すべてのものに
墓参りに行ったからというわけでもないですが、《命のリレー》とはよく聞く言葉ですよね。すなわち、《私》が今ここに居るのは父と母、そのまた父と母、そのまた父と母・・・がいたからで・・・そのうちの誰かひとりが欠けていても今の私は存在していないという例のハナシ。もちろん、それはその通りです。誰が考えたってそれはそうに違いない。だけど・・・ふっとここで思うのです。誰かが死んだから、生まれた命もあるという紛れもない事実もある、と。
祖母の例でいうと、夫が若くして死ぬことがなければ、或いは23歳になっていた長男が死ぬことがなければ、祖母はもう少しラクだっただろうし、父も苦学生にならずにすみ、たぶん母と結婚することもなかったでしょう。そうなると当然私は生まれていない。
また、母の父は被爆の後遺症で戦後まもなく亡くなっていますが、もし母の父が生きていれば、母もおそらく別の男性と結婚していたでしょう。(このことは重い現実です。なぜって、長崎に原爆が落ちていなければ、私は生まれていなかったのですから、原爆にさえ感謝しないといけないことになってしまう!)
いずれにせよ、私が今ここに在るのは、生きていれば祖父に当たる(しかし生きていれば私の祖父とはなりえない)二人の男性が死んでいたから、ということになります。
さらに、夫は9人兄妹の三男ですが、もしも、長女が1歳未満で亡くなっていなければ、長男である兄が生まれることはなく、当然夫も生まれていないでしょう。兄や夫によく似た人は生まれていたでしょうけれど。こんなことを言うとバチ当たりだとたしなめられそうですが、でも事実は事実です。というか事実になりえなかった事実(?)だけれど。
そう考えると自分が今ここに在ることの奇跡は一筋縄ではいかないのだとわかります。もっとも存在した以上、それは奇跡とは言えないのかもしれませんが。
う~ん、こういうことばかり考えているから、うまく世間と折り合えないのだろうな、とわかってはいます。最近は、学生時代の私のように表立ってヘンなことは言わないので、フツーの人演れてますが、時々息苦しくなることはあります。せめてここで吐き出してバランスとろうと思います。
斜面にへばりつく家々
眼下に舞う鳶
故郷は
擂鉢状の街
長崎