片道定期
前回、長崎の片道定期のことを書いたら、高校時代の友人から「片道定期って?」と質問がありました。彼女は下宿生で、山のふもとから歩いて登っていたそう。
わたしはその片道定期を使って、諏訪神社前からスクールバスに乗っていましたが、待っていても乗れないときは4人でタクシー。タクシーだと近道があったので、早く着く上、料金も一人当たり100円程度。何度か利用しましたが、遅刻しないためだったとはいえ、タクシーを使うことに後ろめたさはありました。いつだったか、母が「この子たち、バスに乗れん時はタクシーげな。かえって安かし、早かし、賢かたい」と感心するように言ったのを聞いた父が「タクシーば使うて?こどもがおとなばアゴで使ってよかわけなか!」と苦々しく呟いたことがありました。これを聞いた瞬間「後ろめたさ」の正体がわかりました。そして父の言っていることは正論だと。合理的に考えれば母の言うことはもっともなのですが、この時「わたしは母のような物の考え方はできない。こういう、どこか潔癖なところは父譲りなんだな」と妙に納得したことを覚えています。父にも母にも反抗しまくり(ただし表立ってではなく内心で、ですが)だった高校時代の、懐かしい思い出のひとこまです。
それにしても高校時代は若かった!山のふもとの平地に下宿していた友人とは違い、わたしは反対側の山に、今度は登って帰らなければならなかったのです。今は県営バスも長崎バスも矢の平経由の風頭山行きがあるようですが、当時はなかったし、あったとしても歩いて登って帰っていたでしょう。300段の坂段です。それを毎日・・・。
幼稚園から合わせると・・・13年間、日曜日以外は毎日300段・・・若さって・・・スゴイ・・・としみじみ思います。
坂段も
長崎ならではの
呼称であろう
sa・ka・da・n
懐かしい響き
BGMは思いっきり高校時代に戻って・・・ってことはやっぱり George の《慈愛の輝き》より Faster―
George Harrison - Faster - Lyrics