ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌80~明日

明日は・・・


サティ ジムノペディ 第1番

今日・明日と連休です。その初日である今日、なぁんと11時半まで寝ていて(❕)半日棒に振って(いえ、出だしで躓いたので結局1日無駄にしました。家から一歩も、玄関先にさえ、出てません!掃除も片付けもしていません!)しまいましたぁ~。

ああ、明日は明日は、梶原先生の土の華工房にお邪魔する予定なのです。でもってお地蔵様をお一人お連れするつもりなのです。だから、だから、お迎えするのに相応しい部屋にするべく掃除に励むつもりだったのに、ああそれなのに、それなのに・・・!

先生は明日、公民館で絵付け体験の指導をされるそうなので、お戻りは2時ごろだとか。だからどこか近くでお昼を食べてからおうかがいするつもりです。夫と一緒に。


というわけで、今日やった唯一のことは、工房近くの食事処を探したことくらい。

すぐ近くに農家バイキングゆうというところがあったのですが、残念ながら月曜定休。同じ早良区バイキングレストラン農(みのり)というところがあったので、そこにしようと思っています。レビューによると、山奥の穴場だそうで週末だとかなりの人が並ぶのだとか。明日は大丈夫でしょうか?

 

並ぶ・・・で思い出しました。今朝の朝日の《折々の言葉》です。

吉村昭の随筆集『私の流儀』の中から「私は、並ぶことに生理的な嫌悪感があるのである。」がとりあげられていました。記事をここに貼り付けるわけにはいかないのが残念ですが、この小さなコラムの中のある一文に触れた瞬間、ああ、私の嫌悪感もこれに近いのかもしれないと腑に落ちました。吉村氏のように戦中派ではないにもかかわらず、この嫌悪感は紛れもなく同種のものだと感じたのです。もしかしたら、ここらあたりも父譲りの感覚なのかもしれません。この本をちょっと読んでみたくなったのでアマゾンで検索。買って読もうとは思いませんが、近いうち図書館で借りようと思います。

わたしの流儀 (新潮文庫)

わたしの流儀 (新潮文庫)

 

毎日

明日を

心待ちにできたなら

それって たぶん

最高に幸せなこと