chnops22の徒然五行歌

CHNOPSに過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌118~ひとの思惑

青芽人形再び

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馬場骨董店の店主様から譲り受けた青芽さんの試作品。高さ4.8㎝。

前回、ものすご~く嬉しい話についてはまた後日ゆっくり、と気を持たせて終わっていましたね。

今、公私ともに《ゆっくり》とは言えない気分なのですが、まぁ、《怒濤の神無月》がまだ引き続いていると思って下さい。思えばこれまでが平穏無事過ぎたのでしょう。

天皇制は支持していませんが、元号が変わるころまでには落ち着いているといいなと思います。ん?あと2か月もないのでしたね、難しいかも~~。

と能書きはこれくらいにしてポイントをば~情報過多だとイライラさせちゃいますね。ついサービス精神が旺盛で・・・って何を言い訳してるんだろ。ブログで何を書こうと個人の自由。

ところで私はn重人格者です。今更ながらですが。

って、それほど大袈裟なことではなく、社会生活営む上で、人はだれしも多かれ少なかれn重人格にならざるをえないですよね。役割を演じているわけですから。

わたしでいえば

娘の顔、妻の顔、母の顔、友人の顔、知人の顔、同僚の顔etc・・・と、意識的にも無意識的にも使い分けているわけです。もっともコア部分は変わらないのでしょうが、表面的には別人格と思ってもらっていいくらいキャラクターが違います。

 《どれも自分で、どれも自分でない。 どれも自分でないけれど、どれも自分。》ーって禅問答みたいですが・・・。

ただ・・・『自分が最も好きな自分は・・・自分らしい自分と言い切りたいところですが、残念ながら違うのです。ああ、こんなこと書くとそれがどうした、どう違う!自意識過剰もいい加減にせい!ムカつく!と言われそうですが、ムカついた方はこんなブログ読まなきゃいいだけのことですね。~ってことではじめて今日の見出しに戻るのですが)青芽作品のような好きな物に見入っているときのピュアな自分』です。常にそうありたいと思うけれど、さすがにそれは難しいですよね。(沈思黙考しているときの自分も悪くないですがね~)

 え~っと、自分でも何が書きたいんだかわからなくなってきました。大人のADDってやつですね。

上の画像、お気に入りの地蔵様の作者・青芽こと故中村信二さんの試作品です。高さは4㎝位かな、と思ってましたが、はかったら5㎝近くありました。ちっちゃなちっちゃな観音様(?)です。見ているだけですうーっと浄化されていくようです。

長崎帰省の折、馬場骨董店に寄らせて頂いたら、店主さんが「あなたが来た時にと思って探しておいた」と青芽さんの試作品のいくつかを見せて下さり、

「どれでもひとつ好きなのを持っていかれていいですよ。」と言って下さったのです。もちろん、お言葉に甘えさせていただきましたとも!

青芽さんと生前親しくしていたというKさんにも電話しましたが、今回は通じず、青芽さんのご家族への手紙は馬場骨董店に預けて帰ってきました。

青芽さんのご家族に許可を頂かないうち、ブログにアップするのはどうかと思うのですが、店主さんが「青芽さん、喜ぶからいいんじゃない」と言って下さったので、そこも甘えることにしました。

こんな素晴らしい作品を私だけのものにしておくのはもったいないですもん。

じーっと見入っていると、日々の煩わしい出来事なんてどうでもよいことのように思えてきます。実際どうでもよいことなのでしょう。気持ちひとつの問題ですものね。

 

ひとの思惑なんて

どうでもいい

いま

こんなにも

満ち足りているのだから