新年を迎えはしたものの・・・
まさか鬱というわけでもないでしょうが・・・
新年早々、やる気が全く起きません。
昨年はとうとう年賀状を書かずじまい。
とはいえ、頂いた方には出さないといけないのに、ハガキの準備すらしていませんでした。
元旦に私宛届いたのは、学生時代の友人ひとりを除いてみな年上の方からばかり。
そういう時代になったんだなぁとしみじみ。
コンビニまでひとっぱしりインクジェットハガキを買いに行く気すら起きず、手持ちの写真用ハガキを代用することに。
まぁ、孫誕生を知らせたほうがよい方からばかりだったので、これはこれでよいとはいえ・・・本来は好きで楽しい作業のはずなのに・・・なんだかやる気が・・・起きない・・・
コロナで(コロナのせいばかりではないと思う←こういうヒクツな考えが擡げるあたりもウツっぽい?)年末に孫に会えなかったせいもあって、まだ実感がほとんど湧かないのです。
一度は会いに行っているのですがね~~。
ヒクツついでにもうひとつ。
「みてね」に私が孫を抱いている写真は一枚も上がっていません。
撮ってはくれていたみたいですが、アップしてはいないのですよね。
私を除く近い親族はすべて一緒の写真がアップされているのに・・・
意識的にか無意識なのかは不明ですが、少なくとも私を母として認めたくない、周知したくない心理は働いているのでしょう。
ん?ただの偶然?やっぱりヒクツなだけ?←そうあってほしいという気持ちがどこかにまだあります。
尊敬されるのは無理としても、軽蔑に近い感情を抱かれているだろうなぁと思うとやっぱり悲しいですもんね。
「みてね」の動画の中の孫は多くの人にあやされてキャッキャとよく笑い、泣いてる場面では娘の「超レア!撮らせて!」という声が入っていますから、大声で泣くことはあまりないのでしょう。
娘が3,4か月の頃(それ以前も)、夫の帰宅は遅く、休日も少なかったですから、私の顔くらいしか見ていなかったと思います。
それもしかめっ面の。
母乳も一滴も出ませんでしたから、母性も刺激されていなかったのでしょう。
娘として、妻として、母として、
最低最悪なのは自他ともに異議ないところですが、
では人間としての私は?
職場の上司に「人を貶めることによって自分が優位に立とうとする人間」(これだけは絶対に違うと断言できますが、少なくともそう誤解されるような言動があったということは事実なのでしょう)と暗に指摘されたくらいですから、
仕事人間としての私も失格でしょう。
(実は職務内容について、どうしても納得できないことがあり、ひとつはそれで悶々としていることもあるのですが、ここではパス。)
残る私は・・・このブログ書いているときの私くらいですかね~~
一番素の自分に近いのは間違いありませんが、《読者》を全く意識していないわけではないので、100%素のままのはずはありませんね。
アラ還になって今さら「私って?」と自己分析するのもなんだか可笑しいですが、還暦はある意味、原点に立ち返る時期なのかもしれません。
今さら、そう今さら・・・他人(家族も含めて)の印象を変えることはできないでしょうが、少なくとも自分で自分を嫌いにならないようにしないと、ですね。(実はこれが一番難しかったりもしますが・・・って同じようなこと何度も言ってるなぁ)
ピンクが好き
と
言えない子だった
哀しい
青の記憶