伯父の訃報
昨夜、母から電話があり「小島のおじちゃん」と呼んでいた母の兄である伯父が、朝方ひっそりと息を引きとっていたそうです。
享年89歳。
伯父は施設に入所していました。
晩年は認知症の症状が出ていたそうですが、ADLには特に問題なく、手のかからない穏やかな「おじいちゃん」だったようです。
「そうです」とか「ようです」としか言えないのは、ずっと伯父に会っていなかったから。
たしか弟の結婚式(17,8年前)に会ったのが最後だったと思います。
そのころ既に妻は他界しており、二人の子供は独立していましたから、しばらくは一人暮らしを続けていたことになります。
数年前(もっと前かも?)施設に入所したと聞き、いつか訪ねて行こうと思っているうち、コロナで面会禁止。とうとう会えずじまいでした。
イトコ達とも20年以上会っていません。従妹は東京在住なので、次女が進学で上京した際、連絡を入れたのですが、折り返しはなく、年賀状への返信もなく、結局音信不通のまま。
話は逸れますが、母の兄の子どもなのに従兄でも従姉でもなく従弟と従妹なのは、従姉にあたる「みぃちゃん」が小さい頃に亡くなったから。
「桃を食べて死んだ」と聞いた記憶がありますが、定かではありません。なにせ60年以上前の、私が生まれる以前の話ですから。
認知症になった伯父は、それでも生涯この愛娘のことは頭から離れなかったでしょう。
その後授かった次女を溺愛していたのは、このことがあったからだと今ならば分かります。
そして・・・もし従姉が亡くなることがなければ、従妹は(従弟も)生まれてはいない。従弟や従妹に似た人は生まれていたに違いありませんが・・・
このことは夫とその兄弟姉妹全員にもいえ、なんだか不思議な感覚に陥ります。
そんな身近な話だけでなく、地球上に存在するすべての人が誰か(というより何か)の死によって生まれたのでしょうけれど。
話を現実に戻します。
今日が通夜で、明日が告別式。
帰省できないことはなかったのですが、葬祭場でも「他県の方はご遠慮ください」なのだとか。
母の「香典はあなたの名前で包んでおくから、来なくていい」に甘えることに。
私はこの年にもなって、二人の祖母と一人の伯父の葬儀しか経験がありません。それも10代の頃ですから、大人になってからはないに等しい。
父の弟や義兄、最近では義妹の父など、親族の葬儀にすら参列していないのです。
そう遠くない将来、喪主に近い立場で見送らねばならない日が来るでしょうし、その後は自分が見送られる立場になるはずなのですが・・・。(もっとも自分に関しては「葬儀はしない」派ですが、どういう扱いを受けるかは「死んだ私」には分かりようもないですもんね)
偶然でも/必然でも/どちらでもよい/
死なない限りは/生きている
わけだし、
人はみんな/死ぬけれど/
死んだことのある人は/ひとりも/いない
のですから、こればっかりはね~~
ちょっと一休み。以下の曲もフィルスペクターのプロデュースじゃないかなぁ。
クライマックスがそんな感じ。
George Harrison - The Day The World Gets 'Round - Lyrics
最近、《昔》に引き戻されることが続いています。
前回のブログに書いた《岡田米穀店》の看板娘Kちゃんからはすぐにメールが届きました。
私の旧姓だけではピンとこず、当時のあだ名で「わ~懐かしい!」と思い出したとか。
ご両親亡き後、店を閉めるかどうか迷ったそうですが、お兄様と二人続ける道を選んだのだそうです。
《岡田米穀店》の評判はとても良いのですが、二人を《兄妹》ではなく《夫妻》と勘違いしている口コミも見られました。
次回帰省の折にはお店を訪ねてみようと思います。
従姉の死によって
生を享けた従弟と従妹
義姉の死によって
生を享けた夫とその兄弟姉妹
そんな例は世の中無数にある