ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌310~否応なく

一泊

アップが遅くなりましたが・・・

14・15と連休だったので、実家に一泊しました。

久し振りの泊りです。

母は帯状疱疹の痛みが引かず、父は覚束ない足取り。

様子を見るための帰省でしたが、今回はほかにもやることがあったので泊まることにしたのです。

ひとつはタイピント印刷さんの訪問。

残念ながら、奈華よしこさんにはお会いできませんでしたが、明松智さんの新作を見せて頂くことができてラッキーでした。

彼の描く絵は独特の世界観があり、本当に素晴らしいです。

ぐぐぐーっと引き込まれていく感じ。

家(せめて居間だけでも!)を綺麗に片付けて(片付け片付けと呪文のように唱えながらまだ全然片付いていません!)壁に彼の絵を掛けたら、どんなにか清涼な空間になるだろう・・・(そう思うならさっさと片付けろ!ってね)

もうひとつは石橋貴金属店訪問。

ご主人は私の顔はお忘れでしたが、「以前お地蔵様を頂いた・・・」というと「ああ」とすぐ思い出してくださいました。

一度お手紙を頂いたことがあり、壮絶な被爆体験をされた堂尾みね子さんのことについて触れられたくだりがあったのですが、その堂尾さんの遺稿集「生かされて 生きて」を「よかったら読んでみて」と貸してくださいました。

(実家で一気に読み切り、翌日返しに再訪)

それからブック船長

店長さんがすぐに長崎文献社川良さんに電話を入れて下さり、本当に思いもかけず40数年ぶりに彼女の懐かしい声をきくことが出来ました。

私のことは旧姓を聞いてもわからなかったようですし、お仕事でお忙しい時間でもあり、用件のみの会話でしたが、翌日メールをいただき、感激!

用件とは父の被爆体験記を置いてもらえないかという相談で、それは断られましたが、その出版方法に興味を持たれたようで、いくつか質問が寄せられましたので、メールで回答。

ブック船長では昭和40年代の市内中心地の地図を購入。中通りや観光通り、中島川石橋群などよく知っている場所でしたが、その町名となると殆ど知らなかったことに今更ながら気付かされました。

父もまた町名はよく知らなかったようですが、生まれ育った十人町や佐古小学校、瓊浦中学(現在の西高?)あたりを懐かしそうに目と指で追っていました。

よい買い物をしたなと思います。(自宅用にもうひとつ買えばよかった)

今回は馬場骨董店は素通り。

本当は立ち寄って青芽さんのことをまた色々教えていただきたかったのですが、一泊では時間が限られており、今回は断念せざるをえませんでした。

そうそうその中通りを歩いている時、ちょっとショックなことが・・・

30数年前青芽地蔵を購入したお店、オーナーは変わっていましたが、同じような土産物屋でしたのに、閉店していたのです。店舗にはテナント募集の張り紙が・・・。

通りの向かい側は老舗菓子舗の岩永梅壽軒。

中通りの中でも最高の立地だと思うんだけどな~。ここにもコロナの影響が。

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母から「岩永梅壽軒で『もしほ草』ば買うて来て」と言付かっていたのですが、この日は残念ながら定休日でした。

夕方、母を皮膚科に送った後、近くの伯母の家で待つことに。

一人暮らしの伯母の家、7月には大規模なリフォームをし、孫一家と同居するそうです。孫と暮らすためのリフォームには国から補助金も出るそうで、これも空き家対策、高齢者対策の一環なのでしょう。

従姉の家にも伯母の部屋は作ってありますが、あの界隈でずっと暮らしたいのだと思います。

私も伯母には母の近くにいてほしいし、新しい家が完成したらお祝い持って寄らせてもらおうと思ってます。

否応なく

訪れる

変化

淡々と

受け入れるのみ