長崎日帰り
10日ぶりのアップです。
いつも以上にくたびれた3連勤後の2連休。
実家には泊まらず、夜の高速を飛ばして(といいたいところですが、ハイビームの調子が悪くて飛ばすことはできず!)23時過ぎに帰宅。
もうブログをアップする気力は残っておらず、入浴後即就寝、ひたすら眠り続け、役場からの朝7時の音楽(日曜以外は鳴る)は夢現で聴いたような・・・
で、起床は9時10分前。
それにしてもよく寝た。
さて、今回の帰省の一番の目的は父を原爆資料館に連れていくこと。
《ナガサキあの日・あの時》に挿入した写真の一枚が文章にそぐわないそうで、自分の目にした光景と同じ写真が必ずあるはずだから資料館で探してみたいと、最近ずっと言っていたのです。
で、昨日やっと叶えてあげられたのですが・・・結局見つけることはできませんでした。
地図を指さし「三菱第一工場はここにあるね、お父さんの動員先はこっち側。あの日、行っとったら間違いなくやられとったやろうね。」
「やられとった」ー最悪死んでいたか、大怪我をしていたということでしょう。
空襲警報解除後も、自宅にとどまっていたから、今日まで大過なく生きおおせたわけです。
資料館には修学旅行生がいっぱい。引率の先生方も校長先生と思しき年配(と言っても私より年下か!)の方以外は2,30代。
なんだか隔世の感がありました。
目当ての写真は見つけられなかったれど、せっかく来たついでに事務所に寄り、画像の使用許可手続きの労を担って下さったN様に父を引き合わせてお礼を言わせ、改訂版を出すかもしれないことをお伝えしました。
それから売店で小﨑侃先生の松尾あつゆき「原爆句抄」木版画集・慟哭を購入しました。出版元は長崎文献社。高2の時の同級生だった田島(現・川良)真理さんが副社長をしている出版社です。
それにしても・・・昭和って一括りにはしてほしくないですよね。
60余年もあったのですから・・・一昔前の一生分です。
天皇の退位で元号が変わるーその生活に慣れてはいますが、果たして必要性があるのでしょうか?
西暦にも抵抗はあるけれど、世界標準になっている以上抗っても仕方ないですもんね。
ところで昨日は《真子さま》の結婚式。
天皇制のついての疑問は
囚われ人の 自覚はおありか 天皇という 終身刑
を草壁焔太氏の《五行歌》誌で呈していました。
(もう20数年前のことになるかなぁ。何の反響もなかったけれど。)
生前退位で《終身刑》ではなくなりましたが、皇族という柵からは逃れられない。日本国以外に住むことはできず、選挙権もない。
さぞご不自由なことだろうな、と思います。
21世紀の今、私たちと何ら変わりない人間であり、もちろん基本的人権も尊重されねばならない人々が、皇族に生まれたというだけで様々な制約を受け、その人権も・・・あとは言わずもがな、ですね。
選択的
夫婦別姓
真子さんには
選択の
余地もない
ところで、今日は久しぶりに《彩の会》に参加できました。
互いの五行歌を鑑賞しあい、感想を述べあう。
私が私に還れる場所。
大切な大切な時間と空間。生き返った気がします。
ところでその②
今回の長崎帰省では案内を頂いていた明松智WORLDⅫを見にタイピント画廊まで足をのばすことはできませんでした。
せっかくちょうど会期中(10月11日~30日)の帰省(26日)だったのに・・・残念。