3月10日
今日の見出しは、前回のブログで間違えていた東京大空襲の日付です。
アップ直後に間違いには気づいたのですが、ここでハタと思ったのです。
ある程度の年齢以上の長崎市民で8月9日を知らない人はいない(同じく広島市民で8月6日を)でしょうが、3月10日ついてはどうなのだろう?と。
私のブログを読んでくださった方の中で、すぐに気づいた方はいらっしゃったでしょうか?
それから、間違いと言うより大きな思い違い、無知ともいうべき現実を、私自身の中に見つけました。
長崎や広島の原爆と違い、東京大空襲は、3月10日以降も熾烈を極めていたこと。その日を境に止んだわけではないこと、です。
3月10日以前にも大空襲と呼ばれるものは、東京に限らずあったことは知っていましたが、それ以降は下火になったものと思い違いしていたのです。
3月10日の東京の下町を皮切りに4月、5月はさらなる規模の空襲が山の手へ。
人的被害が甚大でなかった(人の命を単なる数字に置き換えるのは抵抗がありますが、犠牲者の数は1桁少ない)のは、10日以降、急速に人員疎開がすすんだことや、消火活動をせずすぐ逃げたことがあげられるとありました。
人が人を殺す、それも大量に、無差別に。
何十年も前に終わった過去の事ではなく、世界中のどこかで(今ならば「どこか」ではなく、多くの人が地名を挙げられますね)常に人は人を殺戮し続けてきた・・・
人の本性・って・・?
ひとくくりに「人」とはできないのかもしれません。
簡単に人を殺せる人と絶対に殺せない人の間の大多数は状況によって変わる人たちでしょう。
明確な境など
ない
すべては
漸次的な
移行