大徳寺・梅が枝焼き餅
連休でしたので、長崎帰省。
行きに、大村インターで下り、諌早のさをり工房さんに再び寄って、来年の干支・うさぎのお人形を購入。
先月入籍した次女が、近々転居するので、その引っ越し祝いに贈る予定です。
午後1時頃、実家に到着。浜ブラ(今時こんな言葉、長崎でも通じないかも)でもしようかなと思いましたが、ちょっと横になったらそのままうたた寝してしまい、気が付けば午後4時。(我が家でも実家でも同じようなパターンだなぁ)
父はその間ずっと「いのち」(伊藤先生に頂いた広島・長崎の被爆者体験記)を読んでいたようです。
「(執筆者に)知った人はおらんけど、話の内容はようわかる」と言っていました。
「いのち」は戦後60年に出版されていますから、手記を寄せた当時2,30代だった方は父より世代が上ですし、もうその殆どが亡くなられているでしょう。
普段なら夜11時頃までは父に付き合うのですが、この日は疲れ果て、9時には寝てしましました。
翌朝、父をコナミまで送った後、大徳寺・菊水さんへ。
母がぽろっと「大徳寺の梅が枝餅の食べたか~」と呟いたので「大徳寺?梅が枝餅?」と尋ねたところ、
「寺もないのに大徳寺~」と節つけて説明してくれました。
「若か頃よう食べよったとさね。4つで120円やった。」
みつやの太閤饅頭のことはよく聞かされて知っていましたし、私自身も長崎に住んでいた頃はよく食べていましたが、大徳寺や菊水の名前は全く知りませんでした。
梅が枝餅と言えば大宰府、だとばかり。
梅が枝餅は私も大好きですし、俄然行ってみる気になったというわけです。
行って良かった~~、ほんとに良かった~~
こんなところがまだあったなんて!昭和レトロなんてものじゃない。もっと古めかしい感じ。
創業何年になるのでしょう?
88歳だというご主人は「100年以上焼きよる」と言われたけれど、先代からすれば、ってことでしょうか。
YouTubeにアップしたので、そのまま貼り付けますね。
ちなみに、ご主人の弟さんは佐古小学校で美輪明宏さんと同級生だったそうで、以前はよく来られていたのだとか。(美輪さんは義妹のお父様の友人でもあります)
奥様が「あんまり近すぎて、サインも写真も貰ってなかけど・・・」と少し残念そうに仰ってました。
他にも芸能人が何人か来ていて、故坂口良子さんと奥様の写真もありました。
「坂口さんは取材とかじゃなく、ふらっと来られたとですよ。」
「こっちはキスマイの・・・」と写真を見せて説明してくれた男性タレントが誰なのか、私には分かりませんでしたが、きっと有名なのでしょうね。
キスマイがKis-Myと綴る男性アイドルグループ名であることくらいは知っていましたが、正確にはKis-My-Ft2(キスマイフットツー)というのですね。
メンバー名確認したら、菊水さんを訪問したのは千賀さんのようです。
お話上手な奥様とお喋りしていたら、危うくお代を忘れるところでした!
「こないだのお客さんも払うとば忘れて、浜の町まで行った後に戻って来られて気の毒かったけん、今度は忘れんうちにと思うて」笑い飛ばしてくださいましたが、
ホント、最近この手のこと多いので、気を付けなきゃ!(そのうちお縄になるかも?)
それはともかく、「梅が枝餅」ではなく「梅が枝焼き餅」というのですね。
長崎名物とありますが、本当に今まで全然知りませんでした。
半世紀程前には4個120円、今は700円、ちょっと前までは600円だったのでしょうか、下にうっすら文字が透けて見えます。
ん?1箱ではなく1人前とありますが、これを4個いっぺんに食べきれる人なんて・・・いるのかしら・・・?
梅が枝餅よりずっと肉厚で、中にはこしあんがタップリつまっていました。
二箱買って帰るつもりだったのですが、ちょうど私の前のお客さん(年配のご夫婦)が大きな箱をいくつかかかえていらしたので、沢山買われたのでしょう、もう一箱分しか残っていないとのこと。
「待ってもらえれば、作れんことはないけど・・・」と言って頂きましたが、またの機会にすることにしました。
またの機会って、ムフフ・・・これから帰省の度に(つまりは最低月に一度)は寄って、買っていこうと思ってます。(また楽しみが増えました!)
父も母も、そして夫や私自身もいつまで元気でいられるか、わかりません。
やりたいことは、できるうちに、やっておかないと、ですね。
思い切って北海道の従妹や叔母さんにも会っておくかなぁ。
11月には東京にも行きたいなぁ。
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しておかないとね
あれ?今日は「今日の五行歌444」でしたね、無意識に「死」を連想したのかも。