ヘラルボニー
11月5日のブログで、「最近特に興味のある分野の本に、タイムリーに出合った」と述べていました。
それが『異彩を、放て。』という本で、副題には
「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える とあります。
まずは装丁に目を奪われて、手に取ったのですが、この素晴らしい装丁画が、なんらかの障がいのある方の作品であろうことは直感的にわかりました。
この本に出合うに至るまでには、
7月初旬、武雄図書館にて偶然ジーニアスさんの絵画作品に出合い、いてもたってもいられず、翌々週には直接ジーニアスさんの作業所を訪問。
それから繋がりが繋がりを呼ぶ形で、下旬には『関係するアート展』に足を運び、見るだけじゃ飽き足らず、9月には『創作体験ワークショップ』にも参加。
「障がい者」という言葉には、引っかかりを感じますし、使いたくないのですが、かといって適切な言葉も見当たりません。
英語圏でも事情は同じのようで、handicap, challenged, disabled などあるようだけれど、どれもなんか違う・・・気がします。
ちなみにアメリカでは"people(persons) with disabilities", イギリスでは"disabled people(persons)"と表現されることが多いそうです。
pepole firstーアメリカの方が人権意識が高いということなのでしょう。
いずれにしても「障がい者」といっても色々で一括りにはできないはず。
肉体的な障がいは、ここでは置いておくとして、精神的な障がいについては、障がいと呼べるのか?普通と違うというだけで即障がいだろうか?と思います。
そもそも精神と言う実態はないのだから、脳のなんらかの不調というか変調なのでは?
―と、こういうことを書き始めると止まらなくなる私も、やはりなんらかの障がいがあるのかも?
アート作品の中で、私が惹かれるのは自閉症の作家さんの手によるものが多いです。
ここでまた話が逸れるというか、拡がるのですが・・・
自閉症と言うと、サヴァン症候群の少女・ナディアのことが頭に浮かびます。
ナディアについては以下をご参照ください。
ナディアの例(言葉の獲得とともに絵画能力が減退した)だけで、私は、認知症の方の一部に、目を見張るほど素晴らしい塗り絵作品を仕上げる方がいらっしゃる理由が分かった気がしたのです。
ここで少し補足すると、デイサービスでは毎日のように塗り絵をされる高齢者が多いので、皆さん、それなりに上達していかれます。
また、若い頃保育所や幼稚園にお勤めで、元々絵が得意だった方ももちろんおられます。
ですが、普通に「上手ですね」の域を超えた方々がいらっしゃるのです。
12色の色鉛筆(それも100均の)しか使用していないのに、お手本と寸分違わぬ色を再現できる方が。
つまりナディアの例と反対に、言語能力の減退とともに絵画能力が向上したのでは?と。
的外れでしょうか?そういう事例研究はないのでしょうか?
それからもう一つ、ナディアの写実的な馬の絵を見た時、ラスコーの壁画に飛び、あの絵を描いた古代の人には自閉的な傾向があったのではないか、とも思ったのです。
というより、初期の人類は今でいう自閉症的な人々ではなかったか、と。
またまた飛びますが、自閉症スペクトラムは人口の数%に見られ、こんなに多いのはなんらかのメリットがあったからではないかと推測されているようですよね。
淘汰されることなく、残っているのだから、何らかの必要性があったのだろうと、素人考えでもそう思われます。
世紀の大発見・発明をした偉人の中には自閉的傾向が強い人が多いとも聞きますしね。
それからネアンデルタール人がホモ・サピエンスに凌駕された理由を、ネアンデルタール人には自閉症がいなかったからだ、という説を何かの本で読み、なるほど、そうかもと思いました。
何かの本と言葉を濁しましたが、記憶違いでなければ傳田光洋さんの「驚きの皮膚」ではなかったかと。(違っていたらゴメンナサイ)
傳田さんの皮膚に関する著作物は個人的に超おススメです。
なんだか《読書覚書》のようになってしまいました。(こちら全然更新できておらず)
今日は、普段普通を装っている私が、本当はいかに普通じゃないかを暴露したようなブログです。
ヘラルボニー(最近はかなりの数がヒットするので、私のブログに辿り着くことはまずないでしょうが)で検索してここを訪れた方がいらしたら、大変申し訳ありません。m(__)m
最後に、ヘラルボニーとは「異彩を、放て」の著者である松田文登・崇弥さん(双子のご兄弟)の自閉症のお兄様が7歳の時の自由帳に記した謎の言葉だそうです。
それにしても、「普通って何だろう?どういう状態を指すのだろう?」
今日は、書きたいこと纏められず、頭もぐちゃぐちゃなままなので、昔の五行歌アップしておきます。
人並
人並と
みな人言えど
人並であることの
なんという難しさ