ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌464~理性は

一難去ってまた一難

上唇の上の赤みはまだ少し残っていますが瞼の腫れは完全に引いたようです。

もともと腫れぼったい目なので、これ以上の《完治》は望めないでしょう。

ヤレヤレ、自然治癒でなんとかなったわい、と

ホッとしたのも束の間。

先日の職場のミーティングの後、肝を冷やす出来事が・・・。

釈然としない会議はいつもの事ですが、今回はちょっと神経逆撫でされるような決定事項があって、少し頭にが上っていたようです。

一刻も早くその場を離れたくて、終了後、いの一番に打刻して車に乗り込み、エンジン始動。

動き始めた瞬間、何がどうなったのか、全く分からないのですが、右足で踏んでいたはずのブレーキが利かず(物理的なトラブルではないはず。前日に定期点検を受けたばかりなので)、あやうく前に駐車している車にぶつかりそうに。

パーキングブレーキを思いっきり踏むことで、車は止まり、事なきを得ましたが、一体何?どうしたの?今何が起こったの?と、心臓ドキドキ。軽いパニック状態。

時間にして十数秒くらいだったでしょうか、まだほとんどの職員が、中にいたので、駐車場での私の異変に気付いた人はいなかったはず。

気を取り直して、何食わぬ顔で駐車場を出ましたが、出た瞬間、今度は腰に激痛が走り、両足とも麻痺したかのように動かしにくい状態に。

それでも対向車もない道ですから、20キロ程度でソロソロと走行し、我が家に着くころ(2分程で到着)には腰の激痛も、足の痺れたような感覚も消失していたのですが、本当に一体なんだったのでしょう?

思った以上に、ココロとカラダは密接に繋がっているのかもしれません。

というより、ココロという実体はないのですから、脳の不調(拒絶反応のような)がそのままカラダに現れたとみるべきかも、ですね。

このさき、わたしは、いったい、なにを、どうしたい、のか?

それがわかっていないから、次々と身体の不調となって出てきているのですかねぇ。

不惑はとうに超え、還暦ですよ、還暦

もういい加減、良い意味で諦めないと、達観しないと。

こんな宙ぶらりんの気持ちのままで、70代、80代を迎えたくありません。

今日は何の予定もない休日だったのに《読書覚書》の更新もできず、断捨離も進まず、たまにはやるべき主婦業も疎か。

今日から少し糖断ちをして、頭をクリアにしたいと思います。

と言うわけで、今日の五行歌も昔のやつの焼き直しでご勘弁。

理性は

焦げつき

感性は

錆びつき

老化街道 まっしぐら

老化=理性の糖化+感性の酸化

脳の糖化が少しでも抑えられたら、クリアになれるでしょうか?認知症予防にもなるでしょうか?