同窓会
今夕は、高校卒業後45年の同窓会です。
あれからもう45年?!
うそ、うそ、うそでしょ~~、うそだよね~~?誰かウソだと言って~~~
というくらい信じられません・・・が・・・どうやらこの世界での現実のようですね。
60歳で定年を迎えた人もいれば、65歳まであと2,3年働く人、役員などの肩書で残る人、あるいは定年なしの人、自ら起業した人などもいるでしょう。
私のように全く何のキャリアもなく、目標も目的もなく、あっちふらふら、こっちふらふら漂いながら、のほほ~~んと生きてきた人間は、少数派、いえ、皆無かもしれません。
勉強せず、部活に励むことなく、努力もしていなかった東高生は、他にもいたかもしれないけれど、それでも、大学に進んで就職して(あるいは起業して)それから40年以上も経てば、それなりのキャリアは積んでいるはず。
同窓生に引け目を感じているわけではありません。
でもふと、「〇〇さんは、どうしてるかな?会いたいな。」と私が思うのと同様に「私に会いたい」と思ってくれてる人が、いるかなぁ~(いそうにないよな~)と思ったのです。
当時の「仲良しグループ」のひとりが、東京での生活や大学について新鮮な驚きなどを書き送ってくれた手紙を思い出しました。
「あ~早く〇〇さん(私の名)の顔が見たい!←わかるかしら?このキツイ冗談)とあったのです。
グサリときたまま、結構長い間引き摺っていました。
彼女が私を「友達として付き合ってはいるけれど『好きではない』」のは知っていたし、もちろん私の方でも同様でしたが、才色兼備の彼女を尊敬はしていたのに、私のことは見下してもよい相手だと思っていたわけですね。
同時期、年賀状を仕分けしていた父が「お前にこんな失礼なのが届いとるぞ」と笑いながら手渡してくれたのが、この彼女からのもの。
名字の上に白い紙が貼ってあり、私の名前に書き換えられていたのです。さらに住所の番地のところも同様に。
透かして見て、ははん!と思いました。「〇田」とあったのです。「〇多」と書き間違えたのですね。
おそらくその「〇多」さんには新たに書き直したのでしょう。
でも、書き損じた年賀状が勿体ないと思ったのか、住所も番地が少し違うだけだし、と白い紙を貼って上から番地を書き換え、私の名前にして投函したわけですね。
私なら気にしないと思ったのか、そんなことすら考えることもなく、単に有効利用を思いついただけなのか・・・
彼女は東京で青春を謳歌したあと、地元に戻って公務員になりましたから、今日の同窓会にも出席の予定だと思います。
会えば話はするでしょうが、沢山の同窓生の中、話す機会はないかもしれません。
明日の今頃は、「久し振りで懐かしかったな~」「参加してよかったな~」と感慨に浸っているでしょうか?(飲めないので、二日酔いの心配はないですからね。)
さて、そろそろ出発の準備をします。
変わりたい
と藻掻きながらも
変われぬまま
潔く「諦めた」
するっと変われた