ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌742~「窓」が開いて30年

今年も相変わらず

今朝も9時起き、相変わらずの私です。

年をとればだんだん早起きになるのが普通なのに、私は宵っ張りの朝寝坊のまま。

 

昨日は午後からひとっぱしり、長崎まで行ってきました。

実家滞在時間30分(最短記録更新!)、ほんとに「ひとっぱしり」。

弟一家の到着時間に合わせ、午後3時少し前に到着。

彼らはすでに来ていて、座敷でお節を囲んでいました。

ここ数年、母はお節を1から作ってお重に詰めることはしなくなり、注文品ですませていますが、それでも、手作りのミートローフ、筍煮、カブ漬け、さらには栗の渋皮煮まで並んでいました。(これじゃ、要介護3から要支援になったのも当然ですね。)

母手作りの栗の渋皮煮(端の方、食べる前に撮ればよかった!)

それらをちょっとだけつまんで、甥や姪に入学祝を渡しただけで、そそくさと帰りました。

玄関まで送ってくれた義妹と、今後のことについて少しだけ話しましたが「父も母も私たちの提案をことごとく断る以上、二人でやれるところまでやってもらうしかない。」という毎度同じ結論。

でも、それも長くは続かないでしょう。3年以上前から同じことを言っている気もしますが、今年こそはもう本当に「限界」

仕事は日曜だけの週1にセーブしていますから、いつでも駆けつけることはできるけれど、頭の片隅に常にある種の緊張感があるという状態は、私自身も限界に近いかもしれません。(と言いつつ、夜遅くまで海外ドラマ観て寝坊したり、のほほんとブログ書いたりしてますが・・・)

考えてみれば、父が母を送ったのは47歳の時。仕事盛りの年齢でしたから、職場の同僚やご近所の方など、近くの空き地(今は我が家も借りている大駐車場)に何百人も集まっていたことを覚えています。

私はすでにその当時の父より15歳も上になってしまいました。

母が父を介護するのは、もちろん立派な老老介護ですが、娘の私にバトンタッチしたところで(父が絶対にさせてはくれないにしろ)老老介護には変わりありません。私ももうそういうトシなのです。

こういう事態を避けるために生まれた介護保険ですが、体だけ衰えて、頭はしっかりしているという高齢者の想定はあまりしていなかっただろうと思います。(そういう人の為にケアハウスやサ高住のような色々は選択肢はあるにせよ)

なるようにしかならない、なにかあったら、あったとき!覚悟して日々を送るしかなさそうです。

このブログを息抜きにしながら・・・(ここまでお付き合いくださってありがとうございます。)

 

「窓」が開いて30年

常時開けっ放しのそこから

入ってくるのは

新鮮な風ではなく

偏向した情報