ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌752~多めに見積もって

3分の2

1月3分の2が過ぎました。

私の人生もちょうどそれくらいかなぁ。(平均余命的には・・・だけれど)

徒歩での通勤時、近所の畑にはうっすら霜が。

非公開ブログで、これまでの五行歌をまとめていて、それを《公開》にする予定とアップしていましたが、やはり公開することにはすこし躊躇い(手書きでは絶対書けない漢字!)が・・・

正式に(?)五行歌を始めたのが30年前、それからの作品を時系列で列挙していると、いやでも『過去の自分』と向き合うことになります。

「若かったんだなぁ、今ならこうするのに」と笑えるところもあるけれど、根本的には「何も変わってない」自分に驚き呆れたというか・・・。

世間一般的なライフイベントの殆どを経験しておらず、知識もないので、世間知に疎いのは仕方ないにしても、私には「何か」が決定的に欠けているのじゃなかろうか?

それを暴き出し、曝け出して、何の意味がある? 少なくとも公にすることではないでしょう。

安易に《公開》できないもう一つの理由は、《五行歌》誌の中から、自作を列挙するのはいいとして、他の方が私の作品を講評してくださっているところをどう扱うか、という点で悩んでいるからです。

草壁焔太氏についてはそのままお名前を出させて頂いていますが、氏はWekipediaにも載っている方ですし、本名ではなくペンネームなので、ブログ文中で「引用」のお断りさえ示せば、使用自体に問題はない(氏の胸中は別として)と思っています。

ですが、他の『五行歌人』の方のお名前や講評は・・・

さらに、私自身が『講評者』の側だった期間があり、取り上げた歌やコメントをどうすべきか、非公開のままなら、そのままアップ可能だけれど・・・

作業が《南の風》誌にうつったら、こんな悩みはなくなります。

事務局の高原夫妻のことは、このブログでも実名でアップしていますし、実名は不可の方であってもペンネームやコメント等は「自由に使ってください」と許可を得ているので。

悩みつつも、作業自体は続け、吐き出すもの吐き出して、スッキリ!したい!

多めに見積もって

残り3分の1

「私」でいられるのは

さらにその3分の1

か・も・し・れ・な・い