過去が一気に
手紙類を整理したことと直接関係があるわけではありませんが、無意識の力は働いたのでしょう。
今朝の朝日新聞(令和6年5月11日付)を開いた途端に、
いきるだけさ しぬまでは
という横書きと
谷川さん よりあい つないだ16行
という縦書きが目に飛び込んできました。
一瞬、「私の五行歌に似てるな」と感じ、「谷川さんって谷川俊太郎さんのことだろうな」と思いながら本文を読み進めたところ「下村恵美子」さんのお名前を見つけて、「!」
下村さんと言えば、「宅老所よりあい」を立ち上げられた方ですから、この記事にお名前があるのは当然のことではあったのですが、このタイミングで下村さんに『再会』するなんて、と思ったのです。
このタイミングー2、3日前に整理していたハガキの中からコムスン初代取締役(創業者)の榎本憲一氏からの年賀状を見つけたばかりだったのです。
話が見えづらいと思いますが、30数年前、私はコムスンで研修を受けたことがあり、その時の講師のお一人が下村恵美子さんでした。(当時「よりあい」を立ち上げて間もない頃だったのではと思います。)
下村さんが私を覚えているはずはありませんが、私はずっと覚えていましたから、勝手に『再会』気分になったというわけです。
コムスンー介護報酬不正請求等の違法行為で事業撤退に追い込まれ、悪いイメージしかないでしょうが、榎本氏の立ち上げ時は介護事業所の先駆け的存在で、高い理想を掲げていたように思います。
私は研修後、すぐに辞めてしまったので、何年か後に起きる「コムスン事件」については全く分かりませんが、取締役が折口氏になってから、良くない方向に転がっていったような気がします。
今検索してみたところ、ある記事を見つけたので、貼り付けさせてもらいますね。
https://yuki-enishi.com/kaiho/kaiho-40.html
榎本氏から頂いた年賀状には、
医療・保健・福祉の統合されたサービス実現に一層努力致します。
ご支援・ご指導を宜敷くお願い申し上げます。
という印刷文の脇に手書きで
在宅福祉の前進の年となるでしょう。お互い勉強致しましょう。
とありました。おそらく、研修を受けた全員、従業者全員に出されたのだと思います。
平成三年の年賀状ですが、榎本氏はこの年の三月に亡くなられています。(後の不祥事を知らずに済んだのは不幸中の幸いだったかもしれません。)
ところで、研修で親しくなった4人とは、その後も手紙の遣り取りがしばらく続き、うち1人からは最近まで毎年年賀状が届いていました。
講師のもうお一人は九州大学の波多江伸子先生。20人ほどの受講メンバー全員に「なぜ介護の仕事に携わりたいと思ったのか?」を語らせました。
ほかの人たち(20代~60代までの女性)が何を話したか、全く覚えていませんが、私は、
「この先子どもを産めないかもしれません。次世代を担う子どもを育てないのなら、その分、お年寄りが『最期まで自分らしく』生きられるお手伝いがしたいと思って」
といったようなことを発言したように記憶しています。
波多江先生から「あなただけ、ちょっとほかの人とは違うわね。」と言われたことも。
当時親と不仲だったので「親の介護は絶対にしたくない。だから私が他人の親を介護することで、他人に私の親の介護をしてもらおう」という気持ちもあったのですが、それはさすがに言いませんでした。
下村恵美子さんから始まって、どんどん過去に引き戻されたような・・・
コムスンを辞めて2年後には「できないと思っていた子ども」ができ・・・そして、紆余曲折(?)を経て今の私に。
冒頭に戻りますが、紹介文の「いきるだけさ しぬまでは」は谷川俊太郎さんの16行の詩の一部でしたが、「似てる」と思った私の五行歌は以下。
偶然だろうと
必然だろうと
どちらでもよい
死なない限りは
生きている
それにしても、30数年前と、外見以外はほとんど何も変わっていない自分に驚くやら呆れるやら・・・