ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌865~80年目の祈り

ありがとうございます

いきなり、どういうタイトルやと思った方、今の気持ちです。

父の話が続いたせいか、家庭介護をされている方からのアクセスが増えたようで、スターまでつけて頂いたので、素直に嬉しく、感謝の気持ちで一杯なのです。

で、今日もこれから長崎ですが、

実家に行く前に今日から長崎市美術館で開催の長崎平和祭にちらっと顔を出せたらと思っています。

ウエダ先生に搬入・展示のお礼と、内藤先生にお約束していた父の被爆体験記をお渡しするために。

それから実家へ急ぎます。

4日のホーム見学の後日談です。

健康診断書を記入して頂くべく、主治医のもとへ走ったことは書いていましたよね。

その翌日、看護師長から、神ケアマネさんのもとへ電話があったそうです。

曰く「気が変わらないうちに、早く(どこかのホームへ)と言っておいたのに、その後どうなってるの?」とまるで詰問するかのようだったとか。

「どうなってるって、『昨日』娘さんが診断書預けに来られませんでした?その日私も一緒に〇〇ホームへ見学に行ったんですよ。持って来られたはずですよ。」と応酬すると、バツの悪そうな感じで電話は切れたそうです。

この内科の『連携』がとれていないことは、重々承知でしたが、受付の看護師は医師どころか、看護師長にもまだ伝えていなかったのです。

私も迂闊ではありました。

本来なら、簡単なお願い文を添えるべきでしたが、急いでいたし、状況はわかっているはずなので「出来上がったら、私の携帯に連絡ください。先生は番号、ご存知ですから」と預けただけだったのです。

普通なら「念のために、番号伺ってもよろしいですか?」とか「〇様の娘様ですね?」とか確認するでしょうに、それすらなく「検査があるから少し時間がかかりますよ」と言われただけでした。

なのに、その日は伝えられず、翌日さえも伝えられていなかったわけです。

さて、この話にはさらに後日談が。

その4日の午前2時ごろ、父が38度の発熱。

泊まっていた弟は、元看護婦の母を起こし、結局その晩は母が看病。

朝には37度に下がったそうですが、母は主治医に電話をしたようです。

すると「先生、飛んできてくださって、コロナやらインフルやらあれこれ詳しく調べてくれて、どっちでもないって。手の治療もきれ~いにしてくれて、あっちもこっちもよ~診てくれたとよ~」と感謝120%みたいな口調。

思わず「診断書に必要だったからでしょ」と言ってしまいました。

母にはまだホームのことを知らせておらず、また母は耳が遠いので、よく聞き取れなかったと思います。

父の熱がコロナやインフルでないことは分かり切っていたはずですが、「診断書」の必須項目だったのでしょう。

結局発熱の原因はわからず、そのまま下がったので、ただのこもり熱だったのかもしれません。

でも怪我の功名とでもいおうか、父のその発熱のおかげで、医師がすぐ来てくれて、診断書もすぐに手にできそうです。

父、食欲は変わらず旺盛で、我儘も全開

ソファに寝せろと言われ、母は近所の人に頼んだそうです!

オーマイガーッ!!ですね。

それだけはヤメてくれ~~~。

母の力で無理なのだから「できない」とちゃんと伝えればいいのに。

と、もうすぐ出かけなきゃです。

8時15分に黙祷をささげた後、出発します。

80年目の祈り

静かに捧げる

長崎に

原爆が落ちたゆえに

生まれた私が