長崎原爆忌
今日、8月9日は80回目の『長崎原爆忌』です。
被爆者の平均年齢は87歳だとか。
記憶の風化が進む中、5年前、自身の被爆体験記を出版した父も、今は病院のベッドの上。
幸いにも肺炎は「細菌性」のものでしたから、抗生剤のおかげで命に別状はありませんが、94歳という高齢ですし、セルフネグレクトは続いていますから、今後どうなるかは、全く分かりません。
さて、昨日、「ながさき8・9平和展」の画像を整理し、できれば動画アップしたいと記していましたが・・・なんだかとりかかる気が起きません。
やりはじめたら、のめり込むのはわかっていますから、とにかくまず手を動かせばいいのだけれど・・・このブログに逃げています。
昨日の午後2時、面会に行ったとき、父はちょうど痰の吸引中で苦しそうでした。
それでも、励ましの声かけしながら、手際よく処置する看護師さんに感謝の気持ちで一杯になったのでしょう。処置後、
「ほ、北海道のお菓子、お、送って来とったろう?・・・し、白い恋人、あれば、ここの、か、看護師さんたちにやって」と頼まれたほどでした。
が、その2時間後、弟が面会に行ったときには、かなり混乱が見られたそうです。
メールは滅多に寄こさない弟が以下の文面を送ってきました。
今、病院。記憶は少し混乱。
父曰く、昨日か一昨日、広島から小さい子どもが来て稲佐のホテルに泊まったらしい。
代金が50万したと言っている。自分は置いてきぼり。母は金額を見てがっくりきたらしい。
私が帰った後ひと眠りして、夢を見ていたんじゃないかなと思います。
「お盆休みに曾孫が来るよ」とは伝えておいたので、それが小さい子どもに繋がったのでしょう。
曾孫(5歳)は「広島」ではなく「岡山」在住ですが、その辺だったという漠然とした記憶か、あるいは原爆のことが頭の片隅にあったのかもしれません。
母は母で、
「あげん『やぐらしか人』のおらんごとなったけん、ちょっとはゆっくりしてよかとばってん、おらんならおらんで、なんか気の抜けたごとして、さびしかとさね・・・」
(※「やぐらしい」とは長崎弁で、「うっとうしい、面倒くさい、煩わしい」の意)
「それが夫婦ってもんでしょ」なんてわかった風な口をききましたが、共依存の夫婦ですから、特にそうなるのでしょう。
父は少し前から「お母さんは最近おかしかとさね」と不安気に訴えることが増えていましたが、(だからこそ「二人暮らしは限界」とハッキリ悟ったのでしょう)父の訴えの意味も、今回のことで思い当たるフシが。
父の緊急入院で、昨日、一昨日は、夜間の介護はせずにすみ、久し振りに実家でゆっくりできたのですが・・・20時に就床した母が、21時頃私のところへ来て、
「この家に、今は私とあなたの二人だけなんですか?
お父さんはどこですか?
病院ですか?
それではお父さんの代わりにあなたがここに泊まってるんですか?」
他人行儀な口調で、そう尋ね、首を傾げながら自分のベッドに戻っていきました。
今、現在、何が起こっていて、どういう状況なのか、夜になると混乱するようです。
眠前薬の影響もあるのかもしれません。
少し前にもやはり夜、
「〇(弟の長男)は誰の子?」と、一番可愛がっている孫のことを、名前は憶えているのに、弟の子だと忘れるなんて、普段の母からはありえないような発言が聞かれたのです。
1回目の父の緊急入院の後でしたから、精神的にもぐったり疲れていたんだろうな、くらいにしか、その時は思っていませんでしたが。
かくいう私も
駐車場のセンサーキーを、どこかに置き忘れ、ご近所さんに借りに走るという大歩危やらかしましたから(その後ちゃんと見つかりましたが)、父、母、私の誰が一番ヤバイのか、う~~~む。
今日も内輪の話にお付き合いくださり、ありがとうございます。
11時2分になったら、黙祷捧げて、
部屋の掃除を再開します。
今日の五行歌はウエダ清人先生の作品(ながさき平和展の展示物のひとつ)をお借りします。

