ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌885~本望を遂げた父

父を送って・・・

残暑は厳しいのに、見上げれば秋の空、秋の雲

父は「葬式はしないでほしい」「戒名も要らない」と遺言していましたが・・・

結局、義妹が互助会に入っていた法倫会館にお願いすることに。

現実問題として、遺体を普通の車に乗せることはできませんし、24時間以上たたないと火葬場に運ぶこともできません。その間、「安置」しておく場所も必要です。

火葬許可証などの書類を揃えるのも不案内。

となると、葬儀社にお任せするのが、一番手っ取り早い。(不謹慎な言い方ですが)

還暦もとうに過ぎているのに、「お葬式」の経験が極端に少ない私は、親族の告別式に参列したこともあまりないのに、いきなり、喪主(母)に一番近い立場での葬儀。

何もかもが初体験

葬儀社にお任せすると、「家族葬」でこじんまり、という希望は叶えられても、無宗教、というのは難しいということも、あらためて知りました。

仏式を選ばざるを得ないのは仕方ないとして、さらに宗派がいろいろあり、お経をあげていただく「お寺さん」は、決めておかねばならず、決まっていない場合は、自分たちでどこかに「お願い」しないといけないということも。

(葬儀社に仏式でお任せすれば、適当なお坊さんがお経をあげてくださるというわけではないんですよね。自分の非常識さ、無知さに今さらながら呆れた次第)

40数年前の祖母の時は「光源寺さんにお願いした」という母の言葉を頼りに、弟が「光源寺」に電話で依頼。

檀家でないばかりか、半世紀近く、何の連絡も取っていないのに、いきなりのあつかましさでしたが、そこは仏様の慈悲深さでしょうか、ご住職は快く引き受けてくださり、つつがなく、式を執り行うことができました。(ちなみに、光源寺さんは浄土真宗で、「戒名」ではなく「法名」というのだそうです。)

話は前後しますが、父は10日朝早くに亡くなりましたので、私はてっきり当日の夜が通夜だとばかり思っていました。

義妹のおかげで、すぐさま葬儀社の手配ができ、午前の早いうちにアルファリビング長崎大浦から法倫会館へ搬送、安置してもらうことができたのですが、通夜は翌11日、告別式は12日とのこと。

考えてみれば、「予測不能」な出来事ですから、準備は常に急を要します。

会葬礼状などは、定型文を一部書き換えるだけとはいえ、数十枚(から数百枚まで)の印刷を通夜までに間に合わせないといけないわけですから、さすがに半日では難しいですよね。

遺影は、私のスマホの中に入っていた父の顔写真をデータとして送っただけで、あとは色調や背景、衣服などいくつかのパターンを選ぶだけで、あっという間に完成。

今でこそ、パソコンで簡単にできますが、一昔前はどうしていたのでしょうね。

それにしても、葬儀社、葬祭場って至れり尽くせりなんですね。

もちろん、社によってレベルのようなものはあるのでしょうから、一概には言えませんが、法倫会館の場合は、(お寺の選択以外)ほとんど丸ごとお任せで、家族は言われたとおりにするだけで、滞りなく葬儀の一連が終わるしくみ。

思考停止状態の家族にとって、こんなに楽なことはありません。(お金はかかっても)

お布施の相場やいつお渡しするのかなど、わからないことは教えてくれますし、必要な手続きなどについても見やすく、わかりやすい一覧表を手渡しくれます。

火葬場へもただ運んでくれるだけでなく、スタッフが先導し、そこでも手取り足取り教えてくれました。

火葬場から戻ったその足で、家族のみ光源寺へ向かい、お経をあげてもらうことで、いわゆる初七日まで済ませた形に。

この後の法要は四十九日までの間に二七日から和命日を含めて六七日まで6回もあり、「すべて法要することが望ましい」けれど、昨今は「回数を減らすのも珍しくない」との説明に、弟は「四十九日だけでお願いします」と即答。

四十九日の法要が終わったら、納骨になりますが、それはまたそののちに。(これも色々と分からないことだらけ。弟夫婦が中心になって動いてくれて助かっています。)

肉親を失ったばかりだというのに、悲嘆にくれもせず、こんなことを綴っている私は感情欠落人間かもしれません。

でも、そんな私でも、涙がぶわっと溢れた瞬間がありました。

思いがけず、医師会の訪問看護師さんが、父に会いに来てくださった時です。

ケアマネさんには連絡していましたが、会葬はお断りしていたので、まさかと思っていただけに、思わず彼女に抱き着いて泣きじゃくってしまいました。

仕事の合間に駆けつけてくださったことが心底嬉しくて・・・。

「あとで『二人』も来ますが、まず私だけ」と、湯灌が終わり、綺麗に身支度をしてもらったばかりの父の顔をじっと眺めて、父に話しかけてもくれました。

湯灌と言えば、納棺師のお二人の仕事ぶりにも目を見張りました。父をビックリするほど、綺麗な、穏やかな顔つきに整えてくださったのです。)

『二人』とは父を支えてくださった訪問看護、リハのお三方の中の二人のこと。

その言葉通り、お二人は揃って通夜に来てくださいました。

女神ケアマネさんにも最後に会って貰えばよかったな、と少し後悔。せっかく「ご迷惑でなければお伺いしたい」と言ってくださっていたのに。

アルファリビングからはケアマネも施設長も見えなかったのと対照的でした。

こちらは、関りは少なかったとはいえ、「入居者」が亡くなったのですから、社会通念上「来る」ものとばかり。(まして、最後の入院の原因を作ったのはこのホームといえないこともないのに。)

なんだか、逸れてしまいましたね。イヤな話題で終わりたくありません。

訃報は、母方の従姉父方の従妹の二人だけに伝えていました。

家族葬とはいえ、さすがに市内に住むこの二人にだけは参列してほしかったからですが、従姉はたまたま伯母の誕生祝を兼ねた旅行中。

ですが、従妹は叔母を連れて、通夜に来てくれました。叔母は母より一つ下。母たちが会ったのは10年ぶりだったとか。

若い頃は仲が良かったとは言えない二人だったのに、父の兄弟はみな亡くなり、その配偶者(叔母たち)も三人だけとなった今、「お互い元気でおらんばですね。たまには会って話ししましょうや」と盛り上がっていました。

さて、こんな中ですが、今日は午後から「キボリノコンノ展」に行く予定です。

明後日からまた長崎、事務処理が山と残っているので、弟夫婦と手分けして、ひとつひとつ片付けていかなければなりません。(恨めしや3連休!役所や金融機関の手続きが遅れます)

本望を遂げた父

こんな形の

最期になるとは

思いもよらなかったが

今はただ安らかに