ハイ状態
昨夜10時過ぎに長崎から戻りました。
普段はブログを書き上げてから眠るのですが(どんなに遅くなってもそうしないとかえって寝付けないから)、さすがに使て果てていて、入浴後は、髪も乾かないうちに就床。
母、無事ケアハウスに入居しました。ちゃんちゃん、で終わりたいところだけれど・・・備忘録も兼ねているブログなので、このまま書き連ねますね。
(長くなるので、興味のない方はすっ飛ばしてください<m(__)m>)
事前に1日、2日の行動スケジュールを一覧表にして、弟夫妻や母、ケアマネさんなど関係者に配っておきました。
母の混乱を避けたかったからですが、弟たちもその方が動きやすいだろうと。
けれど、弟はおそらく目を通しておらず、前日に「明日は何時に来る?」と電話あり。
「書いて送ったじゃん」と言いたいのをこらえて、一通り説明し、迎えた翌朝。
6時に出発。(初日の出すら見たことがないのに、朝日が昇るのを眺めながらの高速運転!出来ることなら車止めて、写真を撮りたいくらい綺麗でした😍)
8時半には実家に到着し、クリアボックス、掃除用品など積み込んで、9時半過ぎに母を迎えにショートステイ先へ。
家族は室内に入れませんが、荷物はすっかりまとめられて、既に玄関に置いてありました。(前日に母に片付けておくよう頼んでいたけれど、スタッフが手際よく、詰め込んでくれたそうで、母は何ひとつせずに済んだとか。曰く「勝手にポンポン詰めなった」)
神ケアマネさんと10時に待ち合わせをしていたので、到着を待ち、私の車の後ろをついて走ってもらい、10時半にはケアハウス到着。
当初の予定は11時だったせいか、ケアハウスの事務所には誰もいなかった(電灯さえ点いておらず)ので、隣のナーシングホームの事務所に、連絡を取ってもらいました。
ほどなくケアハウスの施設長が来られ、居室に案内していただきました。(入居予定の部屋を見るのはこの時が初めて)
居室は2階と聞いていましたが、斜面建築の長崎ならではで、2階が実質1階のような作り。玄関も事務所も2階にあり、母の居室は事務所やエレベーターのすぐ近くでした。
1階が厨房や食堂です。(感覚的にはその1階が地下1階)
弟に「予定より30分早く付きそう」と途中でメールした際、「了解」ときたので、すぐ来るかなと思っていましたが、来たのは11時半。実家に寄ってテレビを持ってきてくれたからでした。
12時5分前に「昼食の案内放送」、入居者の皆様は、その前にエレベーター周りに集まっておいででした。(放送の30分以上前から並ぶ人もおり、スタッフに何度も「まだ早いですよ」と制されていました。自立の人しか入れないケアハウスとはいえ、認知症の人もチラホラおられるようです。)
初日なのでスタッフが迎えに来てくださって、私も母と一緒に、食堂へ。
座席は決まっていますが(テーブルに名前が貼ってある)、自分でトレイを持って、厨房前に並び、おかず、ご飯、みそ汁をひとつずつ取ってトレイに置いていきます。(社員食堂のようなイメージ)
ご飯もお味噌汁も、その場でよそってくれるので、温かいものが提供されます。(この日は1日でしたから「お赤飯」でした。15日もだそうです)
トレイを両手に持って歩けない人も多いので(母はまだなんとか大丈夫ですが、伯母には無理)ワゴン(必要な人は自分で購入)を押して、それに載せていく人も多かったです。介助してくれる人はいません。お茶も自分で注ぎに行きます。
病院で1ヶ月、その後も至れり尽くせりのショートステイで1ヶ月で過ごした母にとっては、いきなり「何でも自分で」になり、ちょっと戸惑っていたようでもありました。
母の食後、全員で買物。車で10数分のところに、100均や家電量販店、食料品店、食事処など、ひととおり揃っているところがあったので、弟の車でそこへ。
弟たちは(私もだけど)昼食をとっていなかったので、彼らが食事を済ませる間、私は母を連れてダイソーへ。こまごました日用品を買うだけのつもりが、母はベランダ用チリトリセットまで買うと言い、気付けば結構な大荷物。
そこへ弟から「メシ終わって今家電コーナー」とメール。
大荷物と母を連れて家電コーナーまで歩くのは難儀と「先に車に荷物入れたい」と送って、車の近くで待っていたけれど、来そうになかったので(あとですれ違いと判明)、結局大荷物を持ったまま、家電コーナーへ。
無事落ち合って、いの一番に買うべき電気湯沸かし器を購入。
それから軽いスタンド式クリーナー、こちらは入荷待ちで1週間後の受け取りは義妹にお願いしました。
4人で外食後、母と私は実家へ。(母にとっては入居後即「外泊」)
実家に着いて、お茶で一息も付かないうちに、ひと悶着。
母が「帰ったらどうしてもやりたかことのあるけん、まずそればさせて!」というので黙って見守っていたら・・・
小屋に入って取ってきたものは・・・キョーレツなニオイの大根漬け、つまり沢庵。
半分以上腐っており、それを捨てることには当然ながら同意したけれど「こっちは別の容器やったけん、大丈夫」といって残りをビニール袋に入れ始めたのです。
「どうすると、それ?」と聞くと「ケアハウスに持って行くとたい。おばちゃん(姉)も好物やし、アタシも漬物ば食べとうて、食べとうて」
そりゃわかるけど、居室に小型冷蔵庫は備え付けられているとはいえ、冷凍庫はなく、ジュースを冷やすくらいしかできない小さなものです。
そこに、ただでさえニオう沢庵なんか入れたら・・・渋っていると、
「よかやかね!最後くらい好きにさせてよ。仮に腐っとったってどうあんね!アタシが食べるとやけん、よかろうが!」(それがよくないんだってば!ですよね~~)
「じゃ、せめて一本にして、すぐに食べきれる分だけ」と一本だけ別のビニールに入れ直し、キッチンに置いておくことに。(翌朝がちょうどゴミ出し日だったので、結局しれっと捨てましたが)
歩き回った母も、朝早かった私も、疲れていたけれど、翌日持っていくものを選ばなければならなかったので、夜も遅くなってしまいました。
夜の間に駐車場まで何回か往復して、車に詰めるだけの荷物を詰め込んでおくことに。
この2ヶ月、飢えに飢えていた熱いお茶を沢山飲んだせいか、母は11時に就床した後も、頻繁にトイレに起きていました。
その度、転びやしないか(手摺は撤去してあるので)とハラハラしどおし。
私もあまり眠れないまま迎えた翌朝は、生憎の雨。
小雨のうちにと早めに家を出ることにし、義妹に(弟は仕事)「9時半には着く」とメールしたけれど、昨日と同じく「了解です」とは来たものの、彼女の到着は10時10分前。
結局、車から母の居室まで荷物を運ぶのも、ひとりでやらざるをえませんでした。
(いい運動になったかな。ちょっとは体重減ったかな?)
10時半頃、レンタルベッド搬入。その時までにはあらかた部屋は片付いていたので、ベッドの配置もスムーズでした。
12時の昼食には、母一人で行かせました。すぐ近くのエレベーターに乗って1階に降りるだけですが、母は「食堂はどこですか?どこから行ったらいいんですか?」とスタッフに聞いていたようです。
母が昼食に行っている間に、私たちは買物へ。
急ぎ必要なものはテレビ台だけですから、それだけ選んでさっさと帰りたかったけれど、どうせならとついでにダイソーにも寄り、義妹が勧める「あったら便利」用品もポンポンとカゴに入れました。
正直、必要ないと思えるものも多かったのですが、なにしろ時間がなかったのです。
13時には戻らないと、14時からの病院受診に間に合いませんから。
吟味するより買って帰った方が早い。あればあったで、使いはするだろうし。
それより「テレビ台!」と時間を気にしながら「サイズさえ合えばどれもいい!」の勢いで選びました。
当初は引出し付きなら、タンスがわりにもなるよね、とそういうのを選ぶつもりでしたが、それとは違うけれど、たまたまよさげなのがあったのです。
何より組み立てが楽そうなのが決め手でした。
義妹は「それじゃ、下に大したもの入りませんよ。そのわりには高いんじゃ」とちょっと不満げでしたが、とにかく探し回る時間はもうなかったのです。
13時過ぎにケアハウスに戻り、荷物を置くと同時に母を受診へ連れ出しました。
病院には思ったより早く着きはしたものの、この日も障害者用駐車場は満杯。
検査等がなかったおかけで、受診そのものも早く終わったのですが、「イチゴが食べたか」と言う母のリクエストに応え、帰りに近くのスーパーに寄ったので、帰所は15時半。
テレビ台を組み立て、3月の予定をカレンダーに書きこみ、17時前にはケアハウスを出たものの、道が混んでいて、実家に戻れたのは18時近く。
郵便物の確認をし、帰ろうとしていたところで義妹から電話。
入居契約書の件でしたが、長引いて、40分近く話していたので、実家を出たのは19時。
今回こそは、どこかできちんと食事して帰ろうと思っていたけれど、結局コンビニのサンドイッチとコーヒーでお腹を満たすしかありませんでした。
武雄に寄って本を返却しなければならなかったこともあり、自宅に戻ったのは22時。

イルミネーションが綺麗でした。左は子ども図書館
夜の運転は、普段でも苦手だけれど、今回一番ヤバかったかもしれません。目の疲れがハンパなく、視界がぼやけていたのです。
高速道路は雨で80キロ規制になっていましたが、雨より風が強くて、ハンドルを取られそうになり、ドキドキ、ハラハラしながら、やっとの思いで(大袈裟です)帰り着いたのでした。ちゃん、ちゃん。(ここでやっと終了)
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。m(__)m
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