ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌769~何か

長崎足止め

24日の8時に出発して、10時には東彼杵の=VOTEさんに寄る予定だったのですが・・・

まさに家を出ようとしていたその時、父より電話が入りました。

「朝からお母さんの様子のおかしかとさね。」

義妹にも電話するよう伝え、私も向かう途中で義妹にメール。

父は義妹には電話していなかったようです。ーということはそこまで緊急事態ではなかったということだけれど、かといって『寄り道』するわけにはいかず、まっすぐ実家へ。

10時半頃到着すると、義妹だけでなく弟も来ていました。休みだったようです。

母は「手だけじゃなく全身が痛い」とベッドに横になっていましたが、休日当番医の所へは行かないと言うので様子見。

翌25日もまだ痛みが引かなかったので、義妹の提案でYクリニックに電話し、処方されている鎮痛剤を最大どれくらいまで服用できるかを尋ねてみました。

折り返し、ドクターから直接電話が入り「そんなに痛がっているなら3月の予約なんて待っていられん、今日の午後2時に済生会、予約取り直したから連れて行ってあげて」

父の認定調査は午前中で終了していましたが、午後3時にポータブルトイレの搬入があるので私は家を空けられず、受診付き添いは義妹に頼むことに。

なにぶん、急な予約だったので、紹介状を書いて頂いていたリウマチ科の先生ではなかったのですが、優しく丁寧に診てくださったそう。

母の既往歴から、腹部のCTも撮ったけれど、そちらは全く異常なし。

当初の予定通り3月3日も受診しないといけません。(原因がわかるといいけどな~)

いつもであれば、夕食とその後片付けがすんだら帰るのですが、ぐったりしている母をそのままに帰るわけにもいかず、もう一泊することに。

この時は「あと一泊ですむかなぁ、もっと長引くかも」と心配だったのですが・・・

今日の午後からは、ごそごそ起き出して、食卓にいつもおいてある菓子類をつまんだり、果物やジュースを飲んだり、顔色も良くなってきました。

父が夕食にお寿司を食べたいというので、母に「何か欲しいものは?」と聞くと「卵ば買うてきて」(「栗饅頭」とか「プリン」と言う答えを期待していたのに)

まだ料理をする気でしょうか?

しかも2台ある冷蔵庫のどちらの卵ケースにも一杯入っているのに、です。

父の方は、少しは妥協を覚え、毎朝夕欠かさない生野菜の代わりに「野菜ジュース」でよいと自ら言ってくれているのに、母は明朝野菜サラダを気にかけています。

体調が悪い時には「こんなの取ってみたら?」と配食サービスのチラシを見せると「あんたたちのよかごとして」とOKサインを出すくせに、喉元過ぎれば・・・で、少し元気が戻ると料理もしたがる、父の世話も焼きたがる。

こういうことをあと何回繰り返すのだろう?

そうして・・・その度毎に・・・確実に衰えてはいくのでしょう。

何か

決定的に

欠けているものがある

それが「何」か

分からないけれど