3分の1
前回、残り人生の話をしていたので、その続きのように見えますが、全然関係なく、約分して3分の1(6分の2)、6枚中の2枚、の意味なんです。
なんのこっちゃ?!ですよね。
私宛に届いた年賀葉書5枚と、返信用に購入した余り1枚の計6枚のうち、なんと2枚も「切手シート」が当たっていたのです。
なんだ、切手シートかよ、と言うなかれ。
何十枚も送りあってた頃でさえ、精々1,2枚しか当たっていなかったことを思えば、かなりの高確率。なんだか嬉しくなっちゃいます。(単純!)
ところで今日は、階段の手摺り設置とクロス張替えの見積もりに来ていただいています。
手摺りは、ごくたま~に遊びに来る孫の為というより、高齢になっていく私たち夫婦の為。
クロスは、至るところにシミがあり、あまりにも見苦しかったので、この際一緒に、ということに。
張り替えて綺麗になったら・・・これでやっと奥山民枝先生の絵を飾ることができます。
購入したのが一昨年の12月ですから、1年以上、箱に保管したまま!(ようやく日の目を見ることに)
張替え施行日は1月30日になりましたから、2月からは気持ちも新たに再スタートが切れそうです。(運転免許更新も1月31日の予定ですし)
と言いつつも、明日からまた長崎、いつも以上に気が重く感じています。
今、30年前の五行歌をリストアップしていることとも関連するのですが・・・。
「ああはなりたくない」と思っていた「母ソックリ」の表情、口調で「子を叱って」いたり、どうして「この私」が「あの母」なんだろう?と、自身への嫌悪感と母への憎しみ、娘たちへの申し訳なさが綯交ぜになっているところへ、今度は「ああはなりたくない」と思っていた「母ソックリ」の表情、口調で「母を叱って」いるのです。(正確には「叱って」いるのではなく「怒鳴って」いる。少しだけ言い訳すると「怒鳴っている」つもりはないのだけれど、耳が遠い母に聞こえるように大きい声を出すと、それが母には「怒鳴っている」ように聞こえるらしい。おそらく私のしかめっ面した表情からそう感じているのでしょう。)
半世紀以上も前の話、母は、たまに我が家に遊びに来ていた祖母に、もの凄くきつく当たっていました。
子ども心に「何でお母さんは(頭の弱い)おばあちゃんに、あんな言い方をするのだろう、おばあちゃんがかわいそうだ」とずっと思っていたのですが・・・
祖母は「頭が弱かった」のではなく、今にして思えば「認知症」だったのです。
それを考えると当時の母の苛立ちはわからないでもありません。(今のような情報もない頃ですし)
むしろ「認知症ではない」母にキツイ物言いをする私の方がよっぽどタチが悪い。
帰省途中は「優しく穏やかに接しよう」と思うのですが、実家に着いて、母の愚痴口撃(父の世話が大変云々)に見舞われると、ついやり返してしまうのです。
「アンタが選んだ道でしょう!」と。
ウソでもいいから「お母さんも大変ね、自分の体も労ってね」くらい言えればいいのに。
何もこんな時期に「30年前の自分と向き合う作業」(これも結構辛い)なんてやらなくていいのだけれど、逆に「こんな時期」だからこそ「今」やっておくべきなのかもしれません。
冒頭にもどりますが、確かに残り人生も3分の1を切っているのですから・・・
「こころ」という
厄介なヤツ
自分のもののようであるのに
自在には扱えず
折り合いもつけられない