ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌407~ぐいぐいと

長崎再び

メールチェックは毎朝夕欠かさないのに、なぜか27日の夜、大切なメールの見落としがあり、丸一日レスをし損ねていて、大慌てで28日の夜返信しました。

何事かというと、被爆者の写真集を出版されている写真家の松村明から「今、長崎なのでお父様を取材させてほしい」との申し出だったのです。

いつまで長崎に滞在されるかお聞きしたところ、30日までとのこと。

それで今日29日、たまたま休みだったので、急遽私も長崎に帰ることに・・・

ちょうど風頭公園の桜も今が見頃でしょうし、それも楽しみで。

(残念ながら、時間がなくて見に行けませんでしたが)

松村先生が車でお越しになったのは午後2時半。

それから約3時間、最初は父、次に母へのインタビューと写真撮影。

父も母も(特に母!)耳が遠いので、質問とは違ったことを答えたり、話がズレたり逸れたり・・・

二人ともピンマイクを付けて、録音されつつの会話だったこともあり、緊張したのか、父の吃音はいつも以上に激しく、母は母で何度も言い淀み、傍で聞いている私はつい口出ししたくなりました。(実際、通訳のような形で口を挟みはしました。)

松村先生《閃光》について、突っ込んで尋ねられましたが、父は「言葉では形容し難い」と答えるほかなかったようです。

なんとか絞り出した答えが

「その瞬間は白、真っ白、何十分の一秒か、何百分の一秒だったかわかりませんが」

母の方は「『太陽が落っちゃえてきた(落ちてきた)!』と思いました」

写真撮影は、デジカメでなく、昔ながらのフィルムを使っての撮影。

きちんと撮れているかどうかは、当然現像するまでわかりません。

フィルムは以前の10倍の値段なのだそうです。プロや一部のマニアの人しか使わないのでしょう。

松村先生は被爆関連の写真集をこれまでに3冊出版されています。

一番最近の本(2020年7月)が、伊藤先生も写られている《閃光の記憶》、この本の出版元は長崎文献社で、高2のときの同級生が副社長をしている出版社です。

他の2冊は

左:原爆投下65年目に出された写真集    右:2015年刊の写真集

上記、右の写真集を頂戴しました。

インパクトのある文字ですね。後世に残る(残すべき)写真集のひとつでしょう。

甥や姪に手に取って読んでほしいと思います。

父は取材のために被爆者代表のひとりとしてピースボートに乗船した際のアルバムを準備していました。

「チェルノブイリにも行きましたよ」と見せてくれた写真が以下です。

右下にくっきり日付がうつっていますね、ちょうど10年前!

私は長旅に出発前の父に電話一本していなかったので、当時は「親不孝にもほどがある」と両親は立腹していたようです。

こちらにもそれ相応の理由はあったにせよ、今となってみれば、なぜあの時「いってらっしゃい、気を付けて」のひとことが言えなかったのだろうと思います。(おかげで世界一周旅行のお土産を貰い損ねました!←おいおい、そこか)

ぐいぐいと

何か大きな力で

引き寄せられている

圧縮されたエナジー

放つ先は何処?