長崎再び
メールチェックは毎朝夕欠かさないのに、なぜか27日の夜、大切なメールの見落としがあり、丸一日レスをし損ねていて、大慌てで28日の夜返信しました。
何事かというと、被爆者の写真集を出版されている写真家の松村明氏から「今、長崎なのでお父様を取材させてほしい」との申し出だったのです。
いつまで長崎に滞在されるかお聞きしたところ、30日までとのこと。
それで今日29日、たまたま休みだったので、急遽私も長崎に帰ることに・・・
ちょうど風頭公園の桜も今が見頃でしょうし、それも楽しみで。
(残念ながら、時間がなくて見に行けませんでしたが)
松村先生が車でお越しになったのは午後2時半。
それから約3時間、最初は父、次に母へのインタビューと写真撮影。
父も母も(特に母!)耳が遠いので、質問とは違ったことを答えたり、話がズレたり逸れたり・・・
二人ともピンマイクを付けて、録音されつつの会話だったこともあり、緊張したのか、父の吃音はいつも以上に激しく、母は母で何度も言い淀み、傍で聞いている私はつい口出ししたくなりました。(実際、通訳のような形で口を挟みはしました。)
松村先生は《閃光》について、突っ込んで尋ねられましたが、父は「言葉では形容し難い」と答えるほかなかったようです。
なんとか絞り出した答えが
「その瞬間は白、真っ白、何十分の一秒か、何百分の一秒だったかわかりませんが」
母の方は「『太陽が落っちゃえてきた(落ちてきた)!』と思いました」
写真撮影は、デジカメでなく、昔ながらのフィルムを使っての撮影。
きちんと撮れているかどうかは、当然現像するまでわかりません。
フィルムは以前の10倍の値段なのだそうです。プロや一部のマニアの人しか使わないのでしょう。
松村先生は被爆関連の写真集をこれまでに3冊出版されています。
一番最近の本(2020年7月)が、伊藤先生も写られている《閃光の記憶》、この本の出版元は長崎文献社で、高2のときの同級生が副社長をしている出版社です。
他の2冊は
上記、右の写真集を頂戴しました。
インパクトのある文字ですね。後世に残る(残すべき)写真集のひとつでしょう。
甥や姪に手に取って読んでほしいと思います。
父は取材のために被爆者代表のひとりとしてピースボートに乗船した際のアルバムを準備していました。
「チェルノブイリにも行きましたよ」と見せてくれた写真が以下です。
右下にくっきり日付がうつっていますね、ちょうど10年前!
私は長旅に出発前の父に電話一本していなかったので、当時は「親不孝にもほどがある」と両親は立腹していたようです。
こちらにもそれ相応の理由はあったにせよ、今となってみれば、なぜあの時「いってらっしゃい、気を付けて」のひとことが言えなかったのだろうと思います。(おかげで世界一周旅行のお土産を貰い損ねました!←おいおい、そこか)
ぐいぐいと
何か大きな力で
引き寄せられている
圧縮されたエナジー
放つ先は何処?