ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌406~オブラート

長崎あれこれその②

その①の続編です。

22日、タイピントギャラリーからの帰り、お土産用に『ちより』を購入しました。

『ちより』とは長崎銘菓よりよりのミニ版。よりよりは中華街はもちろん、どこのスーパーでも買えますが、ちよりは土産物専門店か、萬順でしか買えません。

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カステラ同様、よりよりも《元祖》があるのですね

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ケースに5種類並んでいるのが『ちより』、パッケージも素敵です。

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このアングルは珍しいかも・・・

ちよりお土産用にはもってこいですが、自分で食べるとなるとかなりな割高感があるので、できればお徳用透明パッケージがあればなぁと思います。

というのも、本家本元のよりよりは、歯がボロボロの私には文字通り歯が立たないのです。

長崎市民のソウルフードともいえるよりよりを食べたくてたまらないのに食べられない・・・そんな人は私だけではないと思うので、売れると思うんだけどなぁ~。

ちよりをいっぱい買って店を出たところで、観光客と思しきご夫婦にすれ違いました。

「よりよりのお店だって」という声が聞こえたので、思わず「おみやげにピッタリですよ」と買ったばかりのちよりのパッケージを見せると「あら、かわいい」とそのままお店に入っていかれました。(そのご夫婦が買って帰られたかどうかまではわかりません)

さて、帰りも、もちろん徒歩です。

そう行きはよいよい、帰りは・・・なんですよね。ここで長崎名物坂段をお見せしましょう。

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何度もくどいですが、幼稚園から小・中・高と十何年もこのテの坂段を毎日上り下りしていたのですから、若さってすごい!と感嘆せずにはいられません。

ヘトヘトになって実家に帰りつき、ひと休みした後、今度は車で両親とともに外食。

帰宅後は父とニュースを見たり、株の話につきあったり・・・

母は8時頃には床に就くので、その後もしばらく父の話を聞くともなしに聞いていましたが、さすがに疲れて私も10時頃には2階のベッドへ。

泊まるときはいつも、かつての弟の部屋です。私の部屋にもベッドはそのまま置いてあるのですが、長らく使っていないので、弟はもちろん、私もいつもその部屋。

久し振りに、漫画アラベスクを引っ張り出して読みながら寝ようかと思いましたが、前後二重にして収納(きっとカビだらけに違いない!)してあるので、前をどかすのが面倒で、諦めました。

自分の部屋のモノも9割は捨ててよいものばかりですが、両親の目の黒いうちにはやはり片付けづらい。

あれこれ考えているうちに寝心地抜群のベッドでいつしか深い眠りに・・・

翌23日、手土産を持って伯母の家に寄ろうとした際、いつもの駐車場ではない場所にとめました。

そのおかげで!

駐車場の目の前に懐かしい文字(店名)を見つけたのです。

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赤に白い字で【お好み焼きみやち】とあり、懐かしさでいっぱい

すぐにも中に入りたい逸る気持ちを抑えて、まず伯母の家へ行き、帰りに寄りました。

引き戸を開けると、ご夫婦らしいお二人が「いらっしゃいませ」

「懐かしい~~、東高時代よく通っていたんです!」と注文もしないうちに声を上げていました。

「もう40年以上も前ですけど・・・ほんとに懐かしい!」

「東高生、今もよく来ますか?」と尋ねるとコロナの影響か、それ以前からなのか「最近はあんまり」

お店にはテーブル席3つとカウンター席がありましたが、私が訪ねた時間帯にはお客はおらず、出前用をどんどん焼き上げていらっしゃいました。

写真、ブログOK頂いたので、貼り付けますね。

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私が通っていたころのお店とは違いますが雰囲気は懐かしい

「以前はこの場所じゃなかったですよね?」と聞くと、ご主人は

「いや、ここでしたよ」と即答されましたが、ややあって「最初の2年は別の場所でした。」と思い出されたようです。

というより、その時はまだご結婚されてなかったのでは?

目のパッチリしたお母様と、とても綺麗な娘さんの二人で切り盛りしていました。

その後その看板娘さんが結婚され、ご主人ともども店を継いだのではないかと。

途中で、私が通っていたのは、お店が別の場所にあったときで、高校時代ではなく一浪していた頃だった、と勘違いに気付きましたが、あえて訂正はしませんでした。

そのころ、一時的に父母が離婚していて、母は伯母の家近くかつ弟の中学校近くに家を借り、3人で移り住んでいたのです。

半年後には母子ともども元の家に戻ったので、通っていたのは主にその期間。

中高生がよく寄るようなこじんまりとしたお好み焼き屋さんは、付近にいくつかありましたし、実際に学校帰り、友人と立ち寄ってもいましたから、一瞬記憶が混同したのです。

ところで、そういうお好み焼き屋さんは、大抵自分たちで焼くしくみ。

でも「みやち」さんは、焼いてくださるのです。自分で焼くことも可能だったと思うのですが、焼いてもらった方が断然美味しい!

はじめて食べに行った日はその厚みボリュームにびっくり。お好み焼きソースの上にマヨネーズがたっぷりかかっているのも新鮮でした。

お値段はたしか当時200円だったと記憶しています。

あまりのボリュームに食べ残すと、「お持ち帰り用」に包んでくださったこともよく覚えています。

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4月から値上げ・・・小麦も植物油も高騰していますから仕方ないですよね
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注文した肉たまを焼いていただいているところ

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写真を撮る前に、母が一口(左端)食べてしまいました!

母も当時のことはよく覚えていて「へ~、まだあるとね?」と懐かし気に食べ始めました。

二人で一枚のお好み焼きだなんて、「懐かしい」だのなんだの散々話をした挙句に注文したのがそれだけですから、我ながらみみっちかったな、お昼に食べきれなければ夕食にとっておいてもよかったのだから、焼きソバも頼めばよかったなと後悔。

でもまた次回帰省時の楽しみにとっておきましょう。

最後に・・・長崎では一足早くが咲いていました。

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磨屋小学校?かな?

オブラートに

くるんだような

想い出

肚に納めて

さぁまた明日!