ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌225~100年後

反響

父の被爆体験記《ナガサキ あの日・あの時》を、博多人形師の伊藤芳美先生に1冊お送りしたところ、すぐに読まれて感想を送って下さいました。

尾形光琳の切手シートまで同封されており、謹呈のつもりが、購入していただいたのと変わらないことになってしまい、恐縮しています。

ですが、便箋3枚にもわたる感想はとっても嬉しかった!

さらに、お手紙にはもう1冊欲しいと記されており、その翌日今度はメールであと1冊追加注文してくださいました。

先生は被爆当時、母と同じ8歳・小学校3年生。校区は違いますが、徒歩圏内といえるほど近い場所。目に見えぬ被爆の後遺症も似たような不調があるかもしれません。

父は 稲佐山、先生と母は 金毘羅山という二つの山のおかげで、どちらも 爆心地からの距離3キロ内)の割には被害は軽減されていますが、それでも爆風の強さは相当なものだったようです。

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《ナガサキ あの日・あの時》の中の先生のページ

 

さらに、先生も炸裂時の閃光を目の当たりにしていますし、父は学校の様子を見に、先生は帰らぬお父様を探しに、それぞれ爆心地付近を歩き回っています。

お父様を亡くされた先生の、その後のご苦労は今回初めて知りました。

原爆投下から75年―体験を語れる人は少なくなってきました。

戦後50年の節目には 阪神淡路大震災 と 地下鉄サリン事件 がありました。

そして75年の今、世界規模での 新型コロナ禍

100年後 には・・・?

 

100年後

ヒトの平均寿命は

100歳になっているかもしれない

一家に一台(一人?)

ドラえもんがいるかもしれない

 

ドラえもんの生まれる22世紀まであと80年

80年もあれば、ドラえもんは不可能としてもヒューマノイド型ロボットは普通に存在しているでしょう。そんなにかからないとも思います。

ドラえもんが不可能な理由は《意識》の問題がクリアできていないから。

英国ドラマ『ヒューマンズ』のようなわけにはいかないでしょう。

ですが裏を返せばその問題がクリアできたら、ドラえもんが生まれる余地はある。

ロボット意識をもったら、人間などにこきつかわれるのは嫌だと反乱を起こしかねないと考えるのはあまりに「人間的」でしょう。

人間の意識や感情をそのままロボットに当てはめて考えることはできないと思います。

ロボットならば、戦争は愚かなことだと「理性的な判断」をするはず。

人間はわかっていても、やめられない。

大義名分、私利私欲、et cetera・・・なんにせよ、複雑怪奇(?)な感情が人間に在る以上、そしてそれがおそらくロボットにはない以上、人間 vs ロボットはないとみていい。

なんだか話がどんどん逸れていますが、書き始めると思考が思いもよらぬ方へと飛んで行くのです。

ただ一見脈絡がないようで、実は繋がって・・・はいる、のですけれどね。

今日はこのへんで・・・。

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