夢の不発弾
今朝の朝日の折々の言葉で「夢の不発弾」という「!!!」な言葉を知ったので、ググったところ、初めの方は夢判断とか夢占い(「爆弾を見た夢」とかですね)系が出てきたのですが、スクロールしていくとそのものズバリ「夢の不発弾」にヒットしました(その少し下に朝日新聞デジタルがヒットしましたから、今朝の新聞の内容よりそちらが上とは)
結構長い文章でしたが、読んで頷くことが多かったので、その記事のホームに移ってみると、アウェアネス・インスティチュートなる米国催眠士協会と催眠療法協会の認定スクールのウェブページでした。
この記事を書いた女性は元CAのようで、アメリカに行くことも多かったのでしょうし、もちろん英語も堪能だったのでしょう。
『夢の不発弾』という言葉自体は脚本家内館牧子さんの「夢を叶える夢を見た」という本の中にあるそうです。
「このままで終わりたくない」という内館さんと同じ焦りを感じていた時に、この協会に出会い、そのまま認定講師になられたのではないかなと思います。
ためしにレッスンのところをクリックしたら基礎ベーシック3日間の研修で6万円となっていました。
こういうもののレッスン料としてはそれほど高くないのかもしれませんが、ソウルの知性に触れるとか(私は「魂」が「在る」とは思っていないので・・・「現象しての魂や心」はあるでしょうが)別次元とか・・・ちょっと違うなぁと・・・私もある種のカンのようなものは・・・鋭い方ではありますが・・・(タイミングがずれていることが多くて生かせてないけれど・・・ん?このレッスン受けたら、そのタイミングがよくなるかもよって?)
出会うべき時に出会うべき人や物に出会うというのは、多分その通りなんだろうと思いますが、今回のこれはそうではなさそうです。
さて、今日はこれから《糸島手市》に行きます。
それについては明日以降アップしますね。
ひと~つ、夢を叶えた人
ふた~つ、叶えられずに悶々としたままの人
み~っつ、夢なんてそんな大それたもの
抱きやしないと平々凡々暮らす人
ふたつ目よりはみっつ目の方がいい?
さて、皆さんはどう思われます?
私自身は、このブログで折に触れ語ってますが、そもそも自分の夢がなんなのか、サッパリわかっておりません。
だから夢の抱きようもないのですが、
だからといって、夢を抱かずに平凡に、安寧に暮らしていけるほど達観できてもいない。
明確な夢を持っている人が羨ましく、そういう人たちを全力で応援することが私の小さな夢のひとつではありますが、
自身の夢は、見出せぬまま(不発弾ですらないまま)終わる・・・の・・・か・・・な・・・?