初夢
4連勤のおかげで、思いがけず4・5日は連休が頂け、さて何しよう、どこ行こうとウキウキしています。
このところ、有休使っての連休は殆んど長崎帰省していたので、自分の為だけに使える貴重な休日・・・
とは言うものの、休日の朝寝坊は相変わらずで、今朝はこんなにもいいお天気なのに、起床は8時半を過ぎていて、さすがに「勿体ない!」と飛び起きて、シーツ類の洗濯。
終わったら武雄図書館に行かないといけません。実は返却が遅れているのです。
その後はゆめタウンに寄って、おそらくは安くなっているであろう、お正月用惣菜を買って帰ろうと目論んでいます。今日は徹底的に家事もサボろうと。
洗濯の1回目が終わりました。
2回目を回す間に、明け方見ていた奇妙な夢について記しておこうと思います。
1月1日の夜にも夢は見たはずですが、全く覚えていないので、この夢が初夢ってことになるかな?
沢山の人でごった返すビーチ(ビーチなのになぜか普通の服装で)に数人の同僚といたところ、私一人、常務に呼ばれ、簡易事務所のようなところで密談する形に。
入社間もない頃には、社長と直に話したり、LINEしたこともありましたが、常務とは個人的に話したことはありませんでした。
だから、なぜ社長じゃなく、常務がでてきたのかしらん?と不思議。
常務は我が子くらいの年齢の美青年。共通点と言えば、同郷ということと長女と同じ大学の出身ということくらい。
挨拶もそこそこに、単刀直入、
「今の職場ともうひとつ別の所と兼務してほしい」という話に。
さらに兼務の割合が、1:7。
1.7倍云々と聞き間違えたようなのですが、夢にも相応の合理性を求めるならば、割合なのですから、1:7、でしょう。(1週間が8日あるみたいですが・・・)
つまり今の場所を1とすると新たな場所が7、兼務と言うよりほぼそちらが主軸。
初夢ですので、景気よく《栄転》の夢ということにして話を進めましょう。
ここで、なぜか夫が出てきて、滅多に見せない渋い表情で会話に耳を傾けています。
「新しい場所ってどこなんですか?」
「熊本です。」
「熊本?!」
県内ではなく、いきなり熊本。でも夫が出てきた理由は分かりました。
熊本勤務となると《単身赴任》を余儀なくされるので、夫が渋い表情だったのも頷けます。
さらに、夫は若い頃のほんの一時期、新たに立ち上げる熊本の事業所(数ヶ月で撤退しましたが)の所長のような立場で赴任していたことがあるのです。
もっとこじつければ、漢字は違いますが、今の直属の上司の名前と同じ県名。
夢って本当に色々なことが綯い交ぜになっているのですね。
多くは無意識下なのでしょうが、不満、憤懣だったり、鬱屈した思いだったり、羨望だったり、願望だったり・・・
その《異動打診》に何と答えたのか、あるいは答えなかったのか、全く記憶にないのですが、なぜかここで突然私のブログの話になり、
「時々、アクセス数が跳ね上がっていることがあるんですが、それって常務がまとめて一気読みしてくださっていたんですか?」
「そうです」(実際にはそんなことはありえず、一気読みは別の誰か)と答えてくださったことまでは覚えていますが、その後の展開は、これまた全く記憶にありません。
そこまでの夢だったのかもしれませんね。そのまま目覚めたのかも。
あ、それから仕事は現在の職種ではなく、児童関係の職場のようでした。
過去に、私も夫も(それから長女も)携わったことがあるからでしょう。
―とここまで書いたところで、2回目終了のブザーが鳴りましたので、干したら出かけます。
いったん下書きに入れ、続きは帰宅後。
夕方6時ちょっと前、帰宅しました。
帰宅して・・・軽い夕食済ませました・・・が
続きを書く・・・気に・・・なれなくて・・・
というのも・・・図書館からの帰りの車の中で、ある方の訃報を知らされたのです。
ある方とは・・・鹿島錦の第一人者、尊敬する樋口ヨシノ先生・・・
昨年の5月頃だったか、入院され、退院後はおそらく施設に入所されることになるだろうとはお聞きしていたのですが・・・
施設に入られても、まだまだお元気でいらっしゃるものとばかり・・・
鹿島文化祭や祐徳稲荷博物館の展示会で・・・何度かお目にかかって・・・ほんの少しお話させていただいただけの私ですら・・・こんなにショックなのですから・・・
友人はじめ、鹿島錦保存会の会員の方々は・・・どんなにか・・・
もう言葉になりません・・・
先生のご冥福をお祈りいたします・・・としか・・・
人生百年時代の
お手本のような
大先生
人生の半分は
鹿島錦とともにあった