娘たちの帰省
27日、予定通り次女が帰省しました。
飛行機から撮ったという富士山がとても綺麗なので、貼り付けますね。
彼女はいつも窓際の同じ席を予約するそうです。富士山が一番よく見えるから、と。
富士山ってどこから見ても富士山、なのですね。
青い空・銀の翼・白い雲、そして富士山の白い雪のコントラストが神々しいまでに美しい。
「キレイだな~~」と思うこの感覚、感情は、一体どこから湧き起こるのか、何に由来するのか・・・
――と、ここまでは27日に書いていたものです。
『孫は来て良し、帰って良し』と言いますが、ホント、皆が帰った今、ドッと疲れが押し寄せています。
備忘録代わりなので、順を追って・・・
28日、私と次女の二人で鹿島の祐徳稲荷神社と武雄市図書館に行きました。
図書館は返却日だったからですが、どうせなら鹿島まで足を伸ばして神社に参拝に行こうということになったのです。
私は普段はもちろん、お正月の初詣にすら行ったことがないのですが、次女が御朱印を集めているというので、付き合ったのです。(今、若い人の間に静かなブームをよんでいるそうですね。)
鹿島博物館の土産物コーナーの鹿島錦で目の保養をさせてもらった後、いざ境内へ。
一応形だけのお参りはしたけれど、そのあと私は休憩所で休憩。(誰もいなかったのをいいことにぐっすりと眠り込んでいました!)
きちんと参拝して御朱印を貰い受けた次女と合流、ちょっとだけ土産物屋巡りをし、武雄へ。
第二駐車場まで満杯でしたが、参拝のご利益があったのか、タイミングがよかったのか、入り口付近にとめることができました。(はじめてです!)
時間があまりなかったので、いつものように新刊本コーナーでささっと10冊選び、隣のゆめタウンで、夕食の買物。
帰宅して、久し振りに家族3人で夕餉を囲んでいたところ・・・
夫の顔が異常に赤い!体調も悪そう・・・
定年前、年末年始の休暇となると、溜まっていた日ごろの疲れが一気に出て、決まって体調を崩す人でしたが、退職後は(といっても昨年が初めてでしたが)そういうこともなかったので、まったくの予想外。
幼い孫の体調と、天候(娘婿は稀代の雨男なので、よもや大雪、とか)の心配はしていたけれど、まさか夫が・・・
体温を計ると38度台あったので、これはもう29日の長崎行は無理。
ところが、なぜか
翌早朝にはケロッと治っており、いつも通り朝の散歩も決行、本人は行く気満々。
ですが、やはり念のため、留守番をお願いすることに・・・
でも結果的にはそれでよかったようです。
私たちがいない間に買物を済ませ、鮮度の良い魚をさばいて刺身にしておいてくれたのですから。
29日早朝、私と次女は糸島を出発、28日の夕方から長崎入りして、ホテルに宿泊していた長女家族と10時頃落ち合い、まずは伯母の家へ。
長年一人暮らしだった伯母は、家を新築同様にリフォームし、孫夫婦と同居し始めたばかり。
30分ほどお邪魔している間に孫は打ち解け、伯母に何度もお菓子を渡したり、菓子鉢に戻したりを繰り返し「あんがと(ありがとう)」と頭を下げたり、1歳4ヶ月の《今》ならでは可愛らしさを存分に見せてくれました。
伯母の家が予行演習になったのか、実家の曾婆との初めてのご対面は、スムーズ。
今度はみかんのやり取りで、同じように愛嬌を振りまいてくれました。
最近無表情だった父も相好崩していたみたい。
母は体調の悪いのをおして、得意のケーキを焼いてくれていました。
餡餅もわざわざ朝から作ったのだとか。
実家への滞在も30分程。すぐに昼食のため、蛍茶屋のロイヤルホストへ。
車で行きやすいこともあり、最近帰省の度に利用していたのですが、さすがに年末で家族連れが多く、ごった返している感じ。
ドリンクバーのコップも汚れているし、ジュース類の補充もできておらず、料理もサラダなどいつもより量が少ないように感じました。
孫は一人前にキッズプレートを完食。両手利きのようでスプーンとフォークを左右の手に持って、器用に食べていました。
その後パパやママの食事からもおすそ分けを受け、その食欲は目を見張るほど。
(男の子ってこんなに食べるの?!)
食後、2時には長崎を出て、夫の実家である大村へ。
当初夫が行けないのだったら、今回はパスしようかと思っていたのですが、せっかく連絡を入れているのだし、と顔を出しました。
夫の実家は、長兄である義兄とその長男家族との二世帯住宅。
義兄や長男家族とは会えませんでしたが、義姉が迎えてくれて、20分程滞在。
帰り際、手作りみそや梅干し、帯で作ったというスマホケースなど色々お土産を頂きました。
(なんだか貰うもの貰う為だけに寄ったみたい。)
夕方5時過ぎには自宅に戻り、次女は同窓会の為外出したので、長女家族と一緒に夕食。
上記、夫が準備しておいてくれた刺身に舌鼓。(夫の一時的な発熱に感謝!です)
ただ、昼寝が出来なかった孫が眠いのと疲れているのとで、食事もせず、お風呂にも入らず、そのまま寝てしまったので、夫はまったく関われず、それでなくとも短い滞在でしたので、懐くことなく別れなければならなかったのが残念だったようです。
以上、慌ただしくも楽しい、夢のような3日間でした。
私が「おかあさん」と呼ばれ、「おばあちゃん」と呼ばれる日が来ようとは!
最後に、次女が私(夫にも)に贈ってくれたものを貼り付けておきたいと思います。
長女家族との合流を待つ間、ひとりで近くの諏訪神社まで足を伸ばした際に買っておいてくれたものです。
鹿島の土産物屋で、私が「カエル、可愛い」と言っていたのを聞き逃さなかったのでしょう。
毎日1万歩の散歩を欠かさない夫には「わらじ」のストラップでした。
親らしいこと、ちっともしてあげてないのに、こんな心遣いされると、それだけで涙腺が緩みます。
来年は
心待ちにすることが
どれだけあるかな?
沢山あると
いいんだけどな。