今週も長崎
今回の帰省は往復ともに高速使用。
父の整形受診と処方薬の受け取り等、最低限の用件のみ済ませて、お昼過ぎには実家を後にしました。
何か用を頼みたい時、父は手をポンポンと2,3回叩いて、耳が遠い母を呼びます。
近くに侍らせたあとは、大声で、もしくは筆談で用件を伝えるのですが、母も黙って「はい、はい」と従っていればいいものを、なんやかや言い返すので、聞かされるこちらはたまりません。
実家の上下左右、すべて空き家だからまだいいものの、騒音公害、近所迷惑もいいところです。
私が居るときくらい、代わりに私が父の用件を聞いてあげればいいのですが、母のようにツーカーとはいきませんし、何より父が嫌がります。
私が駆けつけても「お母さんを呼べ」と言われるだけ。
母は父のことを「縦のものを横にもしない、お茶ひとついれない、一人では何もできない!」とぶつくさ言うくせに、来月自分が一日入院(歯科治療の為)する日のことをやたらと心配しています。(共依存ってやつですかね~)
曰く「お父さんの夕食をどうしよう」「レンジでチンもできない人だから!」と。
少し前なら、一人で外食できた父ですが、今は駐車場までの100mを歩くのさえやっとなので、心配するのもわからないではありません。
にしても、たった1日の話です。
(父の名誉のために補足。歩行が困難になる前は、ラーメンを作るくらいは簡単にできていました)
父自身は母の心配ぶりに対し、うざそうに(そりゃそうだ)「1日くらいどがんでもなる!心配せんちゃよか!」と答えていましたが、それも母には聞こえていません。
手術の日は前もってわかるのですから、私なり弟なりが実家に泊まる手はずなのに、どうして父の世話は「自分が」と思うのでしょうね。
でも、そうやって気を張っていないと、確実に衰えつつある我が身を御し難いのかもしれません。わかるような気はします。
25年後、私もそうなるのかなぁ?
夫は自立した人ですから、母のように「夫の面倒は自分がみないと!」とは思わずに済みそうですが。
自分が、人の役に立つどころか、人の世話を受けるばかりになったら、確かに肩身が狭いだろうな・・・
ぶっちゃけ、介護は生身の人間ではなく、アンドロイドにお願いしたい!(気兼ねなく、何でも、何度でもお願いできそうですもん。)
私には間に合わなくても、30~40年後にはそれが「当たり前」になっているかもしれませんね。
案外、もっと早いかもしれない・・・あるいは、別の手立てもあるかも・・・
こんなこと書くのも、実家で2080年への未来地図という本を読んだからでしょうかね~
これについては《読書覚書》の方にアップ予定ですので、そちらも覗いてみてくださいませ。
この本には各章のまとめの後に「社会課題演習」というのが付いているのですが、これらの中から数問選んで、ChatGPTに答えさせようと企てています。(その結果も合わせてアップ予定)
さて、明日は伊都文化会館の多目的ホールで開催されるさおり織りのワークショップに参加予定です。
梶原先生からも博多人形妖怪展の案内が届きましたので、初日にお伺いしようと思ってます。
こんな風に、気が重い長崎帰省の合間にも、楽しいことは目白押し。
人生、こうでなくっちゃあ!
能天気です
おちゃらけてます
でもいいんです
わたし
しあわせですから