ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌518~コロナの下にも

いざ風の大地美術館へ

連休でしたので、約ひと月ぶりに長崎へ。

今回の目的は、風の大地美術館で開催中の「それぞれの風・展」の鑑賞と、松村 明先生が両親に送ってくださった長崎の写真集「立ち上がる光」の拝読。


しかぁし、その前に!

またまたドジまくり。まずそれを列挙しましょうかね。

早めに出発するつもりが、なんだかんだと手間取って、家を出たのが10時近く。(本当ならその時間には長崎に着いていたかったのに。出遅れもいいとこ!)

慌てていたわけでもないのに、玄関先に、持って行くつもりだったお土産(たまねぎと本)を忘れ、高速入り口ではETC専用ゲートではないところへ進入しかけ、急ハンドル。(後続車がいなかったからよかったようなものの。)

スーパーでは、駐車券を車の中に置き忘れて取りに戻ったり、買うべきものをメモしていたのに、そのメモがゴチャゴチャのバッグの中から探しだせず、結果ひとつ買い忘れたり。

実家から帰る際には、傘を置き忘れそうになり、母の指摘で忘れずに済んだはよいけれど、もっとヤバイことに、自宅用の買物をマイバッグもろとも、ソファの上に置き忘れ・・・

すぐに気づいたので、戻って、こそっと持って帰ることができましたが・・・

いやはや、両親よりも私の物忘れの方が重症。(もう何年も前からだけど)

両親ともに、頭の方はまだ全然大丈夫ですが(ホント、私よりずっと大丈夫)

父はパーキンソン病が進んでいて、吃音がますます酷くなり、足元も覚束ず、家に中では這って移動することも(それなのに、いまだに週数回はコナミで運動したり、サウナに入ったり・・・コナミの従業員さんもハラハラだろうな・・・ちなみに父が最高齢らしい)

母は母で、耳が遠くて話が全くかみ合いません。しまいには怒鳴るような口調になり・・・(いい加減補聴器付けてほしい)・・・自己嫌悪。

実家の大きな冷蔵庫(しかも2台ある!)には食物がいっぱい詰まっており、中にはいつ作ったかわからないようなもの、消費期限を大幅に過ぎた調味料類が入っていたりして、さっき「頭の方は大丈夫」と書いたのと矛盾するようですが、「ホントに大丈夫?」と不安にならないでもありません。

ですが・・・相変わらず母は手間のかかる料理をしています(料理が億劫になったらマズイ兆候といいますよね)

前回はイチゴジャム、今回は、なんと「ちまき」、それも9本も作ったそうです。何本かは北海道の義妹に送ったのだとか。

母お手製のちまき   右は新大工の平井餅饅頭店の鯉菓子(実際はちまきの方が大きい)

余計な話が長くなってしまいました。m(__)m

松村先生の写真集は、ずしっと重く、被爆者のモノトーンの顔写真や長崎の風景などの写真のほかに、巻末にまとめて、写真の説明文が日本語、英語で記されています。

じっくり読むには時間がかりそう・・・

さて、風の大地美術館はというと・・・

四者四様の作品群に圧倒されました。

遠戚に当たる恵子おばさん(荒木恵子氏:長崎の水彩画では第一人者だそう)の画風は、実家にある東山手の風景画や伯母宅に飾ってあった静物画とは全然違っていて、同じ人の手によるものとは俄かには信じがたいくらいだったのですが、なにかこうぐっと惹きつけられる抽象画でした。構図や配色の奇抜さ、新鮮さ・・・言葉にできませんが・・・

それから館長のウエダ清人先生の作品も、私が大好きなを基調にした幻想的なものが多く、陳腐な表現で申し訳ないですが「癒されました」

が基調と書きましたが、先生ご自身は大地の色の作品の方がお好きだそうです。

ウエダ先生は、壱岐の中学校に美術教師として4年赴任しておられたそうで、私が40年程前(!)赴任していた初山中学校でお世話になった先生のことをよくご存知とのこと。(ってこれ、初めて訪れた際にお聞きして、以前も書いていましたね(笑))

それにしても・・・不思議なご縁だな、と思わずにいられません。

その壱岐の一支国博物館で4月28日から6月25日まで特別企画展としてウエダ清人展が開催されています。

画像が悪くてごめんなさい。ポスターとパンフレットの一部そのまま拝借

5月21日には先生の講演があるそうなのですが、偶然にも20・21は連休です!、

「よっしゃ~、これを機に絶対壱岐に行くぞ~~」と、今もうワクワク度マックス

福岡に越して30年以上、壱岐は、その気になれば日帰りできるほど近いのに、いつか行こう、い・つ・か・・・でずっと行けずじまいだったので、ほんとにこの際、えいやっ!です。

とはいえ、土日ですし、コロナの制約も外れて、観光地はどこもオーバーツーリズムのようですから、混雑するかな? 予約が要るかな?

コロナの下にも三年

人間は

何を学んだのだろう

世界は

どう変わったのだろう