ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌165~何があっても

またまた長崎:母の転院

義妹のお父様が亡くなられました。私は通夜にも告別式にも行けなかったのですが、参列した父は電話で興奮気味に「大きか花輪の35も届いとった。あげん葬式は滅多になか」「美輪明宏からの花輪もあった。同級生で、東京に行ったら必ず会いよったげな」と伝えてくれました。

父の同級生や元同僚は殆ど鬼籍に入られています。次は自分・・・でも自分の時には果たして花輪を送ってくれるような人がいるのか・・・と寂しくなったのかもしれません。


美輪明宏 PARLEZ-MOI D'AMOUR Akihiro Miwa

 

ところで、母の転院付き添いは、当初義妹にお願いしていましたが、それどころじゃないですよね。急遽私が休みを取って、付き添いました。夫も同行。母よりもむしろ父の衰えに少し驚いたようでした。

バタバタと諸手続きを終え、日帰り。高速を使えば自宅まで2時間弱。それほど遠くはないのですが、やっぱり疲れます。

そしてまた今週末にも帰崎予定。普段なら「そんなに何度も来なくていい」と言う父も母も今回ばかりは娘に甘え、頼ってくれています。

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PCの壁紙に使用してる長崎港の写真。5年以上前に撮ったものです。

 それにしても、今後どうするか?2ヶ月後には退院、待ったなしです。原因不明のしびれですから、リハビリでどこまで良くなるのか、元通りは無理としても歩けるようになるのか、手や指の力はどこまで戻るのか?(今はペットボトルのフタも開けられません)

義妹とは電話で話しました。

「お義母さんの方はですね、割り切っておられるんですよ」つまり、元通りの身体にならない以上あの家で暮らすのは無理だとわかっており、しかるべきところに移り住む覚悟はできている、と。それが本音ではないだろうことは娘である私にはわかりますが、嫁の前では分別ある姑でありたいのでしょう。

「問題はお義父さんですよね。私の口から言うのもなんですけど・・・。お義父さんには『老人ホームって言っても昔みたいなイメージじゃないですよ。』とは言ってみたんですけど、全くその気はないようで・・・。でも長崎にはあまりいい所がないんです。お義父さんだけでもどこかに入っておかないと、これがお義母さんと二人になったらもっとハードル高いです。」

この十数年、そして衰えが目立ち始めたここ数年の様子を一番知っているのは義妹です。弟はどこか他人事のように思っているようでもあり、「なるようにしかならない。」と傍観しているようでもあり・・・。

かくいう私は転職したばかり。社長も管理職も20~30代と若く(社員は40~60代の有資格者が多いのですが)親の介護についてはまだまだピンと来ないでしょう。育児休暇取得実績ありとありましたが介護休暇の実績はないようです。もちろん私ごときが取れるわけはありません。今のところは土日が休みですが、毎週帰るとなるとさすがにレスパイトできない。夫にも今以上に負担をかけます。このまま仕事を続けるのは難しいかも?週4日の常勤パートにでもしてもらえないかしらん?とムシのいいことを考えましたが、会社の事情に詳しい人は「週4は絶対無理。パートにはしてくれても、社会保険をつけなくていい範囲内でしか働かせてくれないよ」と。ま、そういうもんでしょうね。

何があっても

どこか他人事

今に始まったことじゃない

であれば

今更焦ってもしょうがない