長崎原爆忌
今日は今日中にアップしないと、ですね。
まずは仕事に行ってきます。
帰宅して、夫が作ってくれた夕食をちょちょっとを食べて、入浴後パソコンに向かってます。
私にとって8月9日は、毎年複雑な思いで迎える日。
何度も繰り返していますが、長崎に原爆が落ちていなかったら、私は生まれていません。ここに存在していません。
当初の原爆投下予定地は小倉。
北九州に住む年上の友人が「小倉に落ちていたら、今の私はいなかった」と言っていましたが、私は全く反対の意味で「小倉に落ちていたら、今の私はいなかった」のです。
私に限らず、そういう人はいるでしょう。というより、この例でいうなら、少なくとも昭和21年以降に生まれた人は、そういう人ばかり、といってもよいのかもしれません。
私の場合は、父と母の結婚自体がなかったはずですから、生まれようもなかったですが、もし仮に二人が結婚していたとしても、受胎日が違えば、「私」は生まれていません。(私に似た誰かは生まれていたでしょうが)
そしてそれは私に限った話ではなく、誰にとっても同じ事。あなたやわたしに似ている人は生まれていたかもしれませんが、「あなた」や「わたし」は生まれていない。
原爆投下という歴史的な出来事ゆえに「もし~」と考えることもあるけれど、そういう大きな出来事ではなく、ほんの些細な事柄でさえ結果を変えるには十分なはず。
バタフライ効果、のような・・・。
だから何だ?それがどうした?
と言われればそれまでです。とにもかくにも、あなたもわたしも、生まれてきて、ここにこうして今存在しているわけですから、そんなことを考えるのは時間の無駄には違いありません。
それでも、そういう無駄なことをあれこれと考えるのが、私は大好きです。
こういうクセはきっと一生変わらないのでしょうね。
75年前の今日、長崎市松山町の上空で原子爆弾炸裂。
「私」が生まれる僅か十数年前のこと。
いま
ここ
でなければ
どこにも存在しなかっただろう
わたくし