長崎問題あれこれ
この週末は特段の用事があったわけではありませんが、帰省していました。
父は急速に足元が覚束なくなり、玄関で躓きそうに・・・
それでも頑として杖は必要ないと言い張ります。
早く手すりがついてほしい・・・
手すりがつかないことには、母の退院許可はおりず、退院できなければ、ガンの5年検には行けず、予定が狂った母は、身を持て余しているようでした。
私を見ると堰を切ったように話し始めます。
「この数か月で、4人の年寄りが退院したばってん、『よかったですね、お家に帰れて』って言うたら、なんの、みぃ~んなそのまま施設行きてげな!近頃は親ば家でみようなんて子どもはだぁ~れもおらんと!」
思わず「そら、当たり前やろうが!」と言ってしまいました。
「お嫁さんだってフルタイムで働きよる人が多かと!日中、誰がどがんして病み上がりの親の面倒みるとよ。ひとりにできんやろうが!」久し振りに長崎弁丸出しで応戦。
とはいえ、耳の遠い母には、内容は伝わらなかったようです。(良かった、と言うべきでしょうね。)
さて、病院からの帰り、愛宕町に車を止めて、浜の町まで歩いて行ってみました。
初めて歩く道、まして方向音痴の私なのに、不思議と長崎だとあまり迷わず目的地へ着くことができます。もっとも、どこをどう通ろうと、《下れば》浜の町、なんですけどね。
その道すがら、実家近辺よりさらに荒廃した空き家を見つけ、何枚も写真を撮ってしまいました。
さて、次の写真はなんだと思いますか?
たぶん・・・左の写真は電話ボックス、ですよね?店先に公衆電話が設置してあったのだと思います。
右はそのお店、昔ながらの《〇〇商店》。道を挟んで縁台のようなものも置いてあります。
かつてはここで、ラムネ飲んだり、アイスキャンデー舐めたりする子ども達が沢山いたのでしょうね。
実家近辺にもN商店、S商店と同じような店が2件ありました。
ーとこの話をすると長くなりそうなので、この辺で・・・。
今週はもう1度帰省します。
21日に、母のケアマネさんからケアプランの説明を受けることになっているので。
時速100キロ
視野が
狭まるにつれ
思考は
クリアになる
ツラ構えのリッパな子猫達と、ちょっと面白い空の写真を載せて終わりにします。