盛り沢山!!その2
続 長崎帰省 です。
なにせ1泊2日が3泊4日分くらいの濃密さだったため、書くことが一杯あるのです。
えーっと、まずタイピント画廊さんから戻り、
早速父に、英語版被爆体験記コミックを見せました。
案の定「ああ、わかるわかる。14歳なら同じ歳、中2から学徒動員やったけん、同じような体験ばしとるやろうね」と興味深く読み進めていました。
「お父さんが読み終えたら、チー君たち(中学生の孫)に読ませよう。漫画なら読みやすかやろうけん」―うんうん、そういう意図もあって、買って帰ったのでした。
あの日、父の母校旧制県立瓊浦中学(爆心地より800メートル。現在の県立西高等学校)では、1年生だけ期末考査があっていたそうです。夏休みに入っていましたが、度重なる空襲警報などで授業がおくれにおくれ、そんな時期のテストとなったのだとか。
この日は朝から空襲警報が鳴っていましたから、登校した生徒の数は少なかったようですが、10時頃試験が終わり、学校に残っていた生徒は・・・ほぼ全員犠牲となったでしょう。それでなくとも自宅と学校が近い生徒が多いでしょうし(約3キロ離れていた父は遠い方)動員先で被爆した生徒もいたでしょうから、犠牲者数はかなりの数だったと思われます。
「長崎県立瓊浦中学校沿革誌」によると犠牲者数は、教職員16名、用務員2名、生徒387名となっています。その当時の在校生数はわかりませんが、3分の1近くにのぼるのではないでしょうか?
夕方は父母と3人で外食。
父は最近とみに足腰衰えたものの、食欲は変わらず旺盛で、1.5人前を平らげた後、自宅でさらに甘酒コップ一杯と好物の「三笠山」(文明堂のどら焼き)をペロリ。
一番の食べ盛りに、毎日ひもじい思いをしていた反動でしょうか?
米寿を超えたのですから、好きなものを好きなだけ・・・食べてもいいですよね?
母は9時前には就床しますが、父は11時半と決まっているので、ポツリポツリと話してくれる被爆体験に耳を傾けながら、時間まで付き合っていました。
翌朝6時前には起きてガサゴソしている母の気配を感じながら、私は7時に起床。
風頭公園まで散歩。桜はあと1週間から10日くらいで見ごろになるかなぁ。
( 画質はかなり悪いですが、風の音をお楽しみください m(__)m )
10時、父をスポーツジムに送った後、片淵の伯母宅へ。
手編みのセーターとカーディガンを貰ってきました。
伯母は手編みが趣味で、教室にも通っているのですが、作品展がコロナで中止になったのだそう。
それで作品6点のうち2点を頂いたというわけです。
伯母の家近くのコインパーキングに車をとめたまま、中通りを歩いて馬場骨董店へ。
青芽さんの花瓶の写真を見て頂こうと思ったのです。
スマホの画像を見るなり
「あらぁ、ほんと、これ青芽さんよ。うんうん、青芽さんの作品、そうそう」と懐かしそうに見入っておられました。
お客さんが入って来られたので、ゆっくりお話はうかがえず、、お店を後にし・・・
ぶらりと歩いていたところ、間口の小さいリサイクルショップでお地蔵様!を見つけてしまいました。
値段を聞くと200円とのことでしたが、
それとは別に、昭和レトロな小振りのコップを2個購入したら「お地蔵様はおまけです」ーで、我が家のお地蔵様コーナーに仲間入り。
コップはぱっと見、100均にありそうな色柄ですが、香蘭社製なのですよ。昭和の半ば頃作と思われますが、その当時はモダンだったでしょうね。(二つで600円也)
さて、まだまだ続きが・・・
夕方5時頃自宅に戻ると、
郵便受けに嬉しいお便りが 2通。
1通はタイピント画廊の明松さんからのお礼の葉書。22日夕方消印で23日には届くのですね。高速飛ばして帰ってきた疲れもふっとびました。
もう1通は田中さんからで
「ちのっぷす~Ⅱ」の再々注文。今度は30冊です。
「コロナのせいで歌会は中止になるし、家に居ることが多かったので、交通費や外食代、飲み代が浮いた。その分使ったつもりで本を買ってプレゼントしよう!」と思われたのだとか。
田中さんのそういう太っ腹なところも大好きです。
本も1冊同封されていました。「友人の息子さんのお嫁ちゃん」だという女性(にしざかひろみさん)のA5版の画集です。
「春潮」と題された、桜の花で覆われた赤い金魚の絵が素敵です。
出不精を
返上すれば
それだけの
出会いがある
収穫がある