縁が縁を呼び・・・
久し振りの長崎帰省。
緊急事態宣言は解除になったものの、まだ「県をまたぐ移動はできるだけ自粛」の文字があちこちに。
それでも実家の様子は気になりますし、追加注文した父の本も届けねばなりません。
母は相変わらずマメで、今はせっせと布マスク作りに励んでいるようです。
手のリハビリを兼ねているといいますが、震えやしびれがある母の手は、それでも何の不具合もない私の手より、はるかにはるかに器用です。
「いくつでも持って帰ってよかよ」と言われ、
懐かしい柄のマスクを2枚貰って帰りました。使うつもりはないけれど記念にとっておこうと。
今はなき長崎玉屋のロゴの入った手拭。「幸せはバラの包みを開ける時・・・」なぁんてコピーも懐かしく思い出されます。
帰りに、父の本をお渡ししようとタイピント画廊さんにお邪魔したところ!
まだ青芽さんの河童花瓶は飾ってあり、驚いたことに私がこの間置いてきた葉書と冊子を一緒に並べておいてくださっていたのです!
嬉しいけれど・・・恥ずかしい・・・・・・
さらにさらにさらに・・・!
「この花瓶、お父様に差し上げましょう」と言って下さるではありませんか。
「え?!ほんとにいいんですか!」(欲しがっているのは父ではなく私ですが!)
信じられないような展開に、ほっぺたつねりたいくらいでした。
いくらなんでも、30年前6万円したという花瓶(壺?)をタダで貰って帰るわけにはいかず、ホンの気持ちお代をお渡ししましたが、本当に良かったのかしら?!
帰り際には「これに私が載ってるんですよ」と東高在京同窓会の会報を手渡して下さいました。
帰宅後に読み・・・またまたびっくり!!
同窓生の活躍を伝えるそのページに、県の卓球協会役員を務められたとあるではありませんか!
父は長く卓球部の顧問をしていました。父とは絶対にどこかで会われたことがあるはず!
大学も、父と同窓だとか。(と、あとで電話を頂き、またびっくり。とはいえ父は夜間でしたが)
さらに、その会報の中に父が写っている写真を発見!!
「え?なんで?!」とよくよく見ると、父と一緒に写っているのはカストロ元首相!(というよりカストロ氏を撮った写真の後ろにたまたま父が写っていただけ)
そのページは「ピースボート体験記」ー!!!すべてが一瞬にして繋がりました!
父が「被爆体験記を渡したい」と言っていた「一緒にピースボートに乗ったケイホ卒の人で、ピースミュージアムの館長さん」とは、東高の大先輩?!
ケイホとは現在の瓊浦高校のことではなく、旧制瓊浦中学のことだったんですね!
「瓊浦中学同窓会は東高同窓会と一緒に開催していた」と、つい先日在京同窓会事務局の方からメールを頂いたのを思い出しました。
ここでなぜ、長崎や福岡の同窓会ではなく、在京同窓会かというと、
青芽地蔵➡トンチンカン人形➡ざくろの空➡渡辺千尋さん➡在京同窓会ウェブサイト➡被爆者証言ページ
と繋がっていき、在京同窓会誌の被爆者証言募集を知り、父の体験記を送ってもよいか、メールで問い合わせたところ「ぜひ読ませて頂きたい」と嬉しいお返事を頂いたばかりだったのです。
奇遇というか、世の中狭いというか・・・繋がる時は繋がるものなのかもしれません。
それにしても、タイピントの社長さんが掲載されたのと同じ号(第45号~2012年9月)にピースボート体験記、さらにはそこに偶然父が載っているなんて・・・
やっぱり奇遇だなぁ。
トンチンカン人形は同時にタイピントさんにも繋がっていたのは前にアップしたとおりです。(さらにタイピントさんからも在京同窓会に繋がっていました)
それにしても、青芽に始まり青芽に終わるといっていいのかしら?
あれほど恋い焦がれた青芽さんの、その希少な作品のひとつ、が、いま、ここ、にあるー
なんだか、狐につままれたよう・・・今夜は興奮で眠れないかもしれませんーなぁんてね、何があっても眠れなかったためしはありません。
こんな時に
こんな事が
こんな風に
起こる
ーこともある