ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌215~糸は

トンチンカン人形

前々回のブログで、長崎帰省の折にタイピント画廊さんでトンチンカン人形の図録を購入したことに触れていましたが、

今日はその図録について——

正式な名称は

トンチンカン人形と長崎の画家達展

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表紙                     裏表紙

この本は平成24年度の長崎市芸術文化助成事業を受けて作成されたようで、

発行:とんちんかん人形と長崎の画家達展実行委員会

印刷:タイピント印刷

となっています。

トンチンカン人形を知ったのも、青芽地蔵が始まりでした。

詳細は過去のブログに書いていますが、

さらっとおさらい。

青芽地蔵(のハガキ)を一目見た博多人形師の伊藤芳美先生から「トンチンカン人形!詳しくは書面で」とメールがあり、

翌日のお手紙で、トンチンカン人形とその作者久保田馨氏のことを書いた『ざくろの空』という本を紹介して頂いたのです。

「トンチンカン人形」と聞いた時点でネットで調べ、青芽さんとはどうも違うようだとは思ったのですが、これはこれで興味深い人形だったので、まずは『ざくろの空』を読んでみようとアマゾンで検索。

中古本をゲット。

この本の著者渡辺千尋氏は、銅版画家で東高の大先輩でもあったのです。(残念ながらもうお亡くなりになっておられましたが。)

東高在京同窓会のホームから、今でも氏が平成7年に作られたトンチンカン人形の保存を訴えるページ(「久保田馨のトンチンカン人形館(仮称)設立に向けて」)にアクセスできます。

https://nh-zaikyo.org/kaiin/link/tontinkan/index.html

ここから、一部引用させて頂きます。

久保田氏の作品の根底にあるものは、人間存在の不条理性、その不思議さ、悲しみ、喜びです。それをトンチンカンなるものととらえ、人形に、お面に、俳句に、絵に表現しましたが、その視座は原水爆を作ってしまった人間への怒り、悲しみともなり、「兵器が作られている限り人形を作っていく」と宣言し、実行したのでした。

不思議だなと思わずにはいられません。

父の被爆体験記をまとめているときに、久保田馨氏と《再会》したのですから。

これも共時性(シンクロニシティ)と呼んでもいいのでしょうか?

あるいは馬場骨董店店主が言われていたように

「思い続けよったら(欲しいもの、必要なものは)向こうから近づいてくる」

のかもしれません。

タイピント画廊さんを訪ねたのは、青芽さん作の花瓶を見せて頂き、青芽さんについての情報を得ること、それだけのはずでした。

そこに奇遇にもトンチンカン人形の図録(その中には渡辺千尋氏の作品も収録)が置いてあったのです。

タイピント画廊の社長さんも東高の大先輩。もうじき米寿と仰っていたので、東高創立間もない頃の卒業生でいらっしゃいます。(ちなみに私は32回生)

ギャラリーの階段近くに原爆関係の書籍が並べてあったことも前々回のブログに書いた通りです。

そしてトンチンカン人形について知らせてくれた伊藤先生ご自身も被爆者。8歳の時に長崎で被爆され、お父様を亡くされています。

ふっ・・・と、年齢を重ねるって、こういう目に見えない細い糸のような繋がりーそれが、たとえ単なる偶然や勝手な思い込みに過ぎないにしても—に喜びを見出せるようになることなのかもしれないな・・・なぁんて思えてきました。

久保田馨さんの言葉については

《ちのっぷすの読書覚書》に書き出しています。どうかそちらと併せてお読み下さい。

https://dokusyozanmai22.hateblo.jp/

 

糸は

交差し

網となり

いつしか

網状組織となる