救急車!
生まれて初めて救急車に乗りました。
患者としてではなく付き添いとして、ですが。
コトの顛末は・・・
7日のお昼頃、実家に帰省したらば、母がソファの上で呻いていたのです。
父はコタツでウトウトしており、母の異変には気付いていない様子。
「お母さん、どうしたとね?!」の声に父も目覚め、状況をすぐさまのみこみ
「救急車ば呼ばんば!」
元看護婦の母は「この痛みは心筋梗塞に間違いなか!ここんとこ不整脈も・・・」と自らの状態を解説。
「ありとあらゆる病気ばして、いろんな痛みば知っとるけど、こがんとははじめて!」
《いつもとは違う=心筋梗塞》となったようです。
とりあえず救急要請し、到着を待ちました。
救急車の音が近づくと、母が懇意にしている近所の方が「もしかしてお母さんじゃないかと思って」と心配そうに様子を見に来てくださいました。
救急隊3人が到着。
当たり前ですが、彼らはとても手慣れていて、テンポよくリズムよく(まるで鼻歌でも聞こえてきそうなくらい)テキパキと処置。
「救急車には一人しか乗れないから」と父を家に残し、義妹に連絡。義妹は即座に弟に連絡を取ってくれたようです。
救急車にて心電図測定。母はここでも「ほら!こんなに不整脈が!」と声を上げていましたが、救急隊員はいたって冷静に(これも当たり前ですね)
「心筋梗塞で運ばれた人は何十人も見てきたかもしれませんが、あなた自身は心筋梗塞の痛みは知らないでしょう?」と優しく声をかけます。
隊員は母が希望した市民病院に連絡を取りながら、
「不整脈はでてますが、st上昇は見られません」―このst上昇の有無が心筋梗塞か否かの判断材料なのでしょう。
病院に到着。できる範囲の検査をし、担当医から説明を受けました。
心筋梗塞でないなら、この鋭い痛みの原因は何か?
「来週、胃の検査をします」
「結果の説明はその翌日に」
ということで、今日はそのまま帰宅してよいとのこと。
てっきり入院になると思い、入院セットまで準備しての救急搬送でしたが・・・。
帰宅を許されたからには帰りの足も必要なので、父を乗せた弟の車を待つことにしました。
父は「お前が来てくれとるときで良かった」と言いましたが、
おそらく私が来ていなければ、父は母の異変に気付かないままで、そのうち(1時間程度?)痛みも治まり、何事もなかったかのように過ごしていたでしょう。
母はその間、苦痛に耐えなければならなかったでしょうが、痛みさえ治まれば、とりあえず、普段通りの生活には戻れたはずです。
にしても、綱渡りのような生活には違いありません。
母は終活のつもりもあるのか、調子のよい時は納戸や小屋まで片付けています。
山ほどザボン漬けを作り(そのザボンも自分で買ってくるのです)あちこちに配ったりもしています。
ところで、いつもなら10時頃には実家に着いているのに、この日に限ってお昼頃になった理由は・・・
先に近場の骨董店めぐりをしたからでした。
もちろん青芽さんの作品や情報を探して、です。
老舗の骨董店のひとつは1月に閉店しており、他もたまたま定休日だったのかコロナのせいだったのか開いておらず、結局訪ねたのは前回行ったリサイクルショップのみ。
(でもおかげで昼頃には帰宅できたので、よかったというべきでしょうか?)
リサイクルショップを訪ねたのは、この間おまけで頂いたお地蔵様のお礼を言いたかったから。
ですが、そこで・・・またまたとんでもなく可愛いものを目にしてしまい、
見入っていたら
「京都の御所人形だから、結構高いんです。でも500円はお値引きしますよ」
即座に「頂いて帰ります!」
それがこれです。
人形の腹巻は手織りの布のようです。(京都の伝統的な織物でしょうか?)
可愛いもの、といえば伯母がまた新たな作品を作っていました。
残念ながら写真の構図がよくなく、トリミングにも限度があったので、こんな風にしかアップできませんでした。
次回(来週だからすぐです)撮り直させてもらおうと思ってます。
編物に小物作りにと一人暮らしを謳歌しているように見える伯母ですが、それでも病気は抱えています。
救急搬送されたこともあったのです。たまたま娘夫婦の家に泊まっているときだったので迅速な対応が取れ、大事には至りませんでしたが・・・。
従姉(娘)の家には伯母の部屋も用意されていますが、いよいよ困らない限りは一人暮らしを続けたいとのこと。
気持ちはとてもよくわかるので、帰省の度に伯母の家も訪ねるようにしています。
今月は来週も再来週も帰ります。
ゴムのように
時は
伸び縮みし
ボールのように
弾むことさえある