ちのっぷすの徒然五行歌

CHNOPSの塊に過ぎない私になぜ意識が生じたのか

今日の五行歌301~これまでに遭遇した

3連休にて久々の哲学

かなり久々の3連休

らとに会うためにとった休みでしたが・・・残念ながら・・・ね((´;ω;`)

でも、せっかくの休みですから、色々考えたいこと、リセットしたいこともあり、まずは手始めに掃除と片付け、ですかね。

ところで前回のブログに

「生まれていない自分を想像するのは難しい」と書いていました。

と、今朝の朝日新聞21面に、文脈は違うのですが、引き寄せられた文章があったので引用しますね。

「私が生まれてこなかった」場合を、いまここにいる「私」が正しく想定することはできない。「生まれてこないほうが良かった」という思いは、比較できないものを誤って比較した結果であり、「私が生まれてくること」は善悪の評価軸を超えている。森岡さんは、そう結論づける。

「生まれていない自分を想像することは難しい」どころか「生まれてこなかった場合を正しく想定することはできない」と断言されているのですね。そうか、そうなのか。

「ひとは『もしこうだったら』と別の可能性を考えて後悔してしまいがちだ。しかし今いる自分以外はあり得ない。元には戻れないということの尊さをいかに自分の人生にフィードバックするか。反出生主義は、そうした問いを私たちに投げかけている」

「元には戻れないということの尊さをいかに自分の人生にフィードバックするか」、いい言葉ですね。

でも『尊さ』にはちょっと引っ掛かります。

『貴重さ』とした方がよりピッタリくるような・・・『唯一無二』とか『かけがえのなさ』とも言い換えられると思いますが・・・

この文中で紹介されていた森岡正博氏の名前には見覚えがあったので、著書を図書館で借りて読んだことがあったのだと思います。

「人間は生まれない方が良い」という《反出生主義》自体も知ってはいました。

生きることが辛かった学生時代に傾きかけたことがあるので・・・。

生きていれば楽しいことや幸せなこともあるけれど、苦しいこと、辛いこと、不幸せなことももちろんあるわけで、平均的には(平均、がミソ)プラマイゼロで終わるのではないか?だとしたら別段、生まれなくてもよいのでは?

この世に生を享ける意味って?と若かりし頃はテツガクしたわけです。(ほんとに青いね。でもそれを言うなら今でも青い!)

「生まれなくても(あるいは生まれてもどちらでも)よい」という生ぬるいものではなく、「地球にとって人間は害悪」なのだから「絶対的に生まれない方がよい」というところまでは考えませんでしたが。

う~~ん、テツガクごっこしていたら、結局掃除・片付けできませんでした。

とにかく片付けないと、頭の中もゴチャゴチャで、いつまでたってもスッキリしない!

キレイ・サッパリ片付けて、はやくスッキリしたいんだけどな・・・。

いま ここ

でなければ

どこにも

存在しなかっただろう

わたくし

ーとこれを書いたのは、20数年前。Jさんに「あなたにしか詠めない歌だ」と評されたっけ。

(Jさん、いまどこでどうしているだろう?)

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これまでに遭遇した

ありとあらゆる

ヒト・モノ・コトが

今の私を

形成している