カビの生えたザボン漬け
2008年のコチジャンに続き、実家の冷蔵庫奥から出てきたモノのうち、ぞ~~っっと度№2は、この手作りザボン漬け、№3が、同じくカビの生えた手作りジャム。
ジャムは以前帰省した時に作っていた大鍋いっぱいのジャムを瓶に小分けしたものだと思います。
その殆どにうっすらとカビが生えていました。
誰かにお裾分け分けするつもりで、渡しそびれてそのままになっていたものでしょうか?
ザボン漬けは北海道の叔父の好物で、よく送っていたようですが、その叔父も亡くなり、いくら甘いもの好きの両親とはいえ、そんなに食べきれるものではありません。
それから何かの味噌漬けのようなものにも容器の淵に白いカビらしきものが・・・
お見苦しいものですが、備忘録も兼ねたブログですので、あえてここにアップ。ご容赦を。
さて、お目汚しのお詫びに、ペンギンさんの愛らしい姿でほっこりなってくださいませ。
以下はとっても大きくて素敵な壁面画(というのか?)
タイトルは「睡蓮とペンギン」とついていましたが、但し書きを撮り損ねました。
モネの睡蓮を模した水面にペンギンが浮かんでいる様子かな?
この非常時(?!)にペンギンを見に行ったんかい!とお叱りを受けそうですが、母の病院のソーシャルワーカーさんとの面談が午後からだったので、実家に向かう前に、通り道でもある長崎ペンギン水族館に寄ってみたのです。(何十年ぶりだろ?)
その後、実家で弟と落ち合って二人で面談に。
母の病状は安定しており「近いうち退院してご自宅に戻れますよ」と「良かったですね」のニュアンスで言われたので、「とんでもない!92歳の父との二人暮らしはもう絶対に無理です!」と返してしまいました。
「お母様の今の状態ですと、入所できるようなところは色々あると思いますが、そこはケアマネさんにご相談いただかないと・・・」
もちろん、それは病院のソーシャルワーカーさんではなく、ケアマネさんに相談すべきこと。
それでも「私の方から担当ケアマネの○○さんにご連絡しておきますね」と言って頂けたので「明日まではこちらにいますから」と伝えました。
が、その日のうちには担当さんからの電話がなかったので、翌朝9時にこちらから連絡。
11時に面談の予約を入れ、担当のケアマネさんと、一番最初に母を担当してくださった主任ケアマネさんの三人で話をし、こちらの意向を伝えて、介護施設や老人ホーム等のパンフレットを頂いてきました。
話は前後しますが、ソーシャルワーカーさんとの話し合いの後、弟と二人で母の病室へ。
母は一般病棟に移っており、シャワー付きトイレもあるというなかなか快適そうな個室でした。
母の姿が見えなかったので、リハビリかな?と思ったら、そのトイレを使用中。
出てくるなり「今日初めてこのトイレば使えるようになったとさね」と言いながら、
「でも、水ば流しきらんやったけん、流しといてくれんね」
病室には、一見普通のスチール椅子のようにしか見えないポータブルトイレも設置されていましたから、これまではそちらを使っていたのでしょう。
こんな風に5日午後は割と元気で、普段とあまり変わりない様子の母でしたが、その後夜間せん妄と思われるような状態が現れたようです。
私には母からの電話はありませんでしたが、父や義妹に夜中何度か電話して「お金と保険証ばケイコが持っていった!」と根も葉もないことを言ったり、「ゴンちゃん(去年亡くなった母の兄)に会いに行ったね?」など意味不明なことを言ったそうです。
またまた話が前後しますが、母との面会後、せっかく久し振りに弟と二人でしたので、伯母(母の姉)が入居しているケアハウスを一緒に訪ねてみることにしました。
従姉に電話したところ、一緒に行くというので、三人でケアハウス横尾へ。
居室はベッドを置いても十分な広さで、トイレはもちろん、ミニキッチンもついていて、おまけに洗濯物の干せるミニベランダまであり、ワンルームマンションのシニア版といった感じで、私でも「ここなら今すぐにでも住んでも悪くないかも」と思えるほど。
実際「ここに20年住んでます」という方もいらっしゃるようです。
母が元気なうちに連れてきておけばよかった~と思いましたが、後の祭り。
伯母と同じ施設に入所できれば一番安心ですが、現在空きはなく、待機者も多いそうなのでまず無理でしょう。他をあたるしかありません。
5・6の連休は長崎で過ごし、7・8糸島に戻って仕事をして、9・10再び長崎へ。
土日だったので、今回は夫も一緒に行きました。
9日は弟も仕事帰りに寄ってくれるというので、久し振りに何品かの料理を作りました。夫は刺身担当。
父の夕食は午後6時と決まっているので、弟を待たずに先に食べ始めていたのですが、ほどなく弟も加わり、父がポロリと「こんな大勢で食べるのは久し振り」と呟いたのが印象的でした。
普段は夫婦二人、母が入院してからはひとりっきりの味気ない食事ですもんね。
そして翌10日、父に頼まれた買い物や洗濯、掃除をした後、夫と二人でケアハウス稲佐の森へ行って見ました。
日曜ですから、外側だけの見学のつもりが、生活相談員さんが応対してくださり、色々と説明を受けることができました。
ただ、こちらも15名ほどの待機者がおられるとのこと。
「お守り代わりに申込みされている方もあり、いざ『空きが出ましたよ』と連絡差し上げたら『まだもう少し自宅で』と断られる方もいらっしゃるので、思ったより早く順番が来ることもあります」だそうですから、申込みだけはしておいた方がよいのか。
本人たちの意向を無視して、というわけにもいきませんが、もう二人暮らしが無理であることはわかっているとは思うのです。
かといって、私か弟が引き取って一緒に暮らすというのも現実的ではありません。
親は自宅で看るのが当たり前だった時代かつ80歳前後という今の感覚からすれば「若い」高齢者のうちに亡くなるのが普通だった時代に親を見送った世代である両親。
「老人ホーム=姥捨て山」に近い感覚を持った最後の世代でもあります。
いわば、親子ともども初めての経験をするわけですから、わからないことだらけなのも道理。
まったくもって、人生最後の最後まで「勉強」だなぁ。
にしても、この10日間のうち3回も帰省したので、さすがに疲れました。
なんでもかんでも
勉強さ
どんなことからでも
学べるのは
人間の特権