過密スケジュール
切羽詰まっているとはいえ、我ながらこの2日間はよく頑張ったと思います。
思っていた以上の成果がありました。
まずは昨日、お昼ごろ実家に到着。
その日は母のヘルパーさんが午後1時半に掃除に来る予定だったので、その1時半から2時半までの1時間は2階のベッドで休養。ひと眠りできたので、運転疲れも回復。
その後買い物に出かけて食材を調達し、夕方やってきた弟と4人で食卓を囲みました。
ケアハウスや老人ホームのパンフレット等準備はしていましたが、何かを察したらしい母は早々に床に就き、父の方はといえば、弟の説明に耳を傾けてはくれました。
話はちょっと逸れますが、この夜の洗濯は私がし、「小屋」とよんでいる棟続きの物置に干しておいたのですが・・・トイレに起きた母が、別の場所(温水器のそば)に干しなおしたようです。
確かに温水器のそばだと早く乾くでしょうが、そんなに急いで乾かさないといけないようなものはなかったのに・・・
さらに、今朝はそれらすべてが、庭の日の当たる場所に干しなおしてありました。
なんでそんなことするんだろ?
一晩温水器のそばに干していたのですから、十分に乾いていたはず。
日光消毒でもしたかったのかしらん?
それとも、自分はまだまだ大丈夫と言いたかったのか、自分の存在価値をアピールしたかったのか。
話を戻します。
昨晩弟が帰った後、父は「〇〇さんが晩年暮らしとった《諏訪ノ杜》ば調べてくれんね」と自らホーム入居を考えているような口ぶりに。
その名称は3年ちょっと前にも聞いた記憶があります。
たしか穴吹工務店の老人ホームだったような・・・
その時も母の入院で、いよいよ一人暮らしは限界と思っていた頃でした。
それがまさかまさの母の復帰で、まだなんとか老夫婦二人暮らしでいける・・・と問題を先延ばしにしていたのです。
でも、今回はもうさすがに・・・。
父とは夜10時過ぎまでは話していましたが、私も疲れて眠かったので、先に休み、そして迎えた朝。
母は7時前から父の朝食の準備をはじめており、前述のように洗濯物の干し直しまでしていました。
父は再び「縦のものを横にもしない生活」に逆戻り。
これでは、母が再び心不全を起こすのも時間の問題。
早急にコトを進めねば・・・!
朝食の後片付けを終えた後、9時頃「ちょっと出てくる」家を出て早坂にあるケアハウスへ。
自宅から車で10分足らずの場所です。
ところが玄関にバーン!と「コロナの為、面会禁止」と張り紙がしてあり、事務所でパンフレットをもらうのも憚られるような状況。
もとより、二人とも入居するなら「自宅に近い」ことにはメリットはないし、候補からは外していたので(他との比較のために見てみよう位の気持ちだったので)そのままナビを次なるケアハウスへ。
ここは空室ありらしいので、最有力候補。
とりあえず、パンフレットをもらうだけのつもりが、事務所にいらした方が丁寧に応対してくださった上、入居窓口の担当さんに連絡を入れてくれると約束までしてくださいました。
近くには大型スーパーや大型銭湯、食事処も色々とあり、自宅からも弟夫婦宅からも車で30分足らずの絶妙なロケーション。
せっかくなので、その大型スーパーで買い物をしてから実家に戻り、13時半からのケアマネさん、サ責さんとの契約に父とともに臨みました。
父はまた「週3回(母の2回と合わせて)もヘルパーさんが来るのはかえって迷惑」とゴネはじめ、私は私で「今さら何言うの?わざわざ来てくださってるのに!」とブチ切れかけましたが、ケアマネさんが「じゃあ、お父様、せめて週1回ではなく隔週、2週間に1回ではどうでしょう?」と取りなしてくださって、「それならば・・・」と父も渋々応じ、なんとか契約を交わすことができました。
とりあえず、利用契約だけは結んでおかないと、いざというときが困ります。
ケアマネさんらが帰られた後、程よいタイミングで上記ケアハウスの担当さんから電話が入り、両親の状況について簡単な聞き取りをしていただきました。
詳細は弟夫婦と面談してもらうよう(双方に)お願いしたので、次回の私の帰省時に両親含め皆で見学できれば、と思っているところです。
明日までの夕食の作り置きをし、水回りの簡単な掃除をして実家をあとにしました。
ーとまぁ、こんな具合に、かなりハードな過密スケジュールをこなしましたが、今は充足感の方が大きくあまり疲れを感じていません。
ハッキリとした形での「成果」に結び付くかどうかはまだわかりませんが、良い方向に向かうと信じるしかありませんね。
今日は早めに寝ることにします。
母の
面差し
晩年の
母の母に
瓜二つ