父の想い
3連休だったので、前半2日間は長崎へ。
実家に着いた時、父はスポーツジムに行っていた(目的は運動ではなく風呂、特にサウナ)のですが、帰宅後「もうコナミに行くのも限界になってきよる」とポツリ。
今でも乗り合いタクシーと電車を乗り継いで、コナミスポーツに行くこと自体はなんとかひとりでできるけれど、「階段を25段ばかり降りんといかんとさね」
私は中に入ったことがないので、どういう構造なのかわかりませんが、スポーツジムなのですから、父のようなヨボヨボのお爺さんが、それもひとりで利用することなど想定していないでしょう。
少し前までは会員でしたので、定休日以外、毎日のように足繫く通っており、退会後も週に数回は通っていたようなのに、自ら「それも難しい」というくらいですから、余程大変なのでしょう。
周囲の目も気になりだしたようです。
教え子など30年来の付き合いのある人もいるのだとか。
従業員の方はハラハラしながら見守っているのではないかと思います。
浴場のような危険な場所は、小さい子どもなら「保護者同伴で」と言えるでしょうが、足元の覚束ない高齢者にどういう声掛けをしたらいいのでしょうね。
父は、居間に母がいない時を見計らって1万円札を出し、「これで〇〇に福砂屋のカステラば2斤送ってくれんね。」
「ネットで注文できるよ」と言うと「いや、店から直接送ってくれ。浜町にあるやろ」
〇〇とは末の弟のこと。「もう〇〇だけになってしもうたけんね。」
父は男ばかりの七人兄弟。
ですが、三男、次男、長男の順に早逝し、四男の父が実質長男として、寡婦であった祖母を支えてきたのです。
四男の父と六男が、それぞれ中卒で(父は中2まで)働いて、五男と七男を高校まで進学させたというような話も聞かされたことがあります。
だからでしょうか、父は兄弟の中でも六男と一番仲が良かったようです。
父はその後東京へ出て、夜間の高校~大学で学び、地元に戻って高校教師に、六男は北海道に渡り、自衛隊などを経て、自動車学校の先生になったのだとか。
五男は地元企業の重役になり、七男は大阪で電気関係の会社に勤めたのですが、独立し、日本経済の成長に乗って、一時は羽振りもよかったようです。
「お父さんを中心に今度は五男、六男、七男の順に亡くなって、最後がお父さんやろ」と常々、冗談とも本気ともつかぬようなことを言っていたのですが、本当に五男、六男の順で亡くなってしまいました。
五男、六男の妻は存命ですが、年上だった七男の妻は、数年前に亡くなっています。晩年は認知症だったとか。
「なんやかやしてやったばってん、なぁんも言うてこんけん、お母さんがいい顔せんとさね。そいばってん、もうたったひとりになった弟やけんね。△△(北海道の六男)でさえ、晩年は『長崎のもんば食べたか』って言いよったくらいやけん、〇〇も食べたかろうと思うてね」
さらに「次に来たときは、ちゃんぽんば送ってくれんね」「よりよりも食べさせたかなぁ」とリクエストが続きます。
正直、あまり日持ちしないカステラを2斤ももらっても、一人暮らしか、もしくは長男との二人暮らしでは食べきれないだろうと思いましたが、父の気持ちの問題ですから、そこは黙って言う通りにしました。
で、せっかくなら福砂屋の本店まで足を延ばして、そこから送ろうと思い立ちました。
本店の前を通ったことは何度もありますが、中に入ったことはこれまで一度もないのです。
店内も撮影、ブログアップOKとのことでしたから、貼り付けますね。
カステラは「カステラ御三家(福砂屋・文明堂・松翁軒)」はじめ、市内の至る所で買えますが、やはり一番歴史の古い福砂屋、それも本店での購入をお勧めします。
1624年創業だそうですから、今年400年になるのですね。そのせいでしょうか、カステラ読本なるものを手渡されました。
長崎やカステラの歴史など、カラー写真とともに説明がなされていました。
ちなみに松翁軒は1681年とこちらもかなり古く、文明堂総本店は1900年、明治33年とのことですので(「文明開化」からとったのでしょうか?」かなり後になりますね。
ところで、父は「カステラと言えば福砂屋」派ですが、カステラはそれほど好物ではなく、自分用に買うのはもっぱら文明堂の三笠山(どら焼き)。
私は子どもの頃、松翁軒のショコラーテ(ココア味のカステラ)が好きでしたが、今は福砂屋のオランダケーキ(やはりココア味のカステラ)も好きです。
子どもの頃にはまだなかったので、いつごろから作られるようになったのでしょうか?
「父の想い」と題したのに、「カステラの話」で終わってしまいましたね。
雑記帳みたいなものですから、お許しください。
今回の長崎帰省、他に色々と収穫があったのですが、それは次回。
カステラ
よりより
一口香(いっこうこう)
シュガーロードに
想いを巡らす